風の勢いで逃げだし、寮の部屋に逃げ込んだあと、あなたはしばらく会話もできない状態でした。
やがて、息が戻ってくると、あなたは呟きました。
「――な、んで……」
返答を期待しない呟きでしたが、答えが返ってきました。
『そなたに会うために決まっておろうが』
何を当たり前のことを、という風に、蛇が言いました。
『そなたは有名になった。……なりすぎるほどにな。魔法使いになるのはほぼ確実、一級魔術師になるのも確実だろうて。さても、その噂を聞いて、あやつはどう思う? 他の誰でもなくあやつだけは、喜びではない感情を抱くであろうよ』
腹の中に、氷塊を詰められたような気分になりました。
――言われてみれば、なぜ気がつかなかったのでしょう。
ダリルだけは、あなたが魔と契約をして今の力を手に入れたことを知っています。
あのとき、情に流されて誤った選択をした彼も、三年もすれば大人になります。
頭も冷え、情と理性を区別し、自分のした選択を客観的に見れるようになっているはずです。
そして、ダリルは、決意したのでしょう。三年前の誤りを正すことを。
「……そう、だよな……彼は、私を殺しにきたんだ……」
あなたは、がらんとした室内を見やります。
三年間過ごした部屋なのに、驚くほど個性がありません。個人の気配というものがないのです。
お金はあっても、使い道がないあなたです。お金を使うのは、この部屋の室料と、あとは週に一度の楽しみの特製パンぐらい。
衣服はいつも支給品のローブを身にまとい、部屋にあるのは同じく支給品の教材と筆記用具ぐらいです。
教科書にはくまなく書き込みが入っています。
遊ぶこともなく、教科書と格闘してきた三年でした。
私物がないため散らかりようもなく、物寂しげな雰囲気のただよう部屋を眺め、小さく頷きました。
「会いに行こう……逃げてしまったから」
『遠くから闇打ちか?』
その可能性に初めて気づいて、あなたは首を傾げました。
同じ低魔力同士、ダリルの魔力の程はよく知っていましたし、それが急に上昇したとも考えられません。
どうして、ダリルは真正面から会いに来たのでしょう?
学院に密告か、あるいは出会い頭の一撃しか、彼に勝算はなかったでしょうに。
『今度こそ、殺すのだ。あやつが生きている限り、そなたの棘となる。いつ何時、その棘が浮かび上がってくるかわからん』
「――蛇。ダリルに、危害を加えるな」
『なぜだ』
あなたは目を閉じます。
流されるまま、学院に来て、勉強しました。実習で、魔退治にも出ました。そこで結果を出して何度か感謝を受けることもあったものの、胸の内には虚しさがありました。
――いつか、私は、魔の尖兵となって、人間を殺し、災厄をもたらす。
それが嫌ならば、その前に命を断つしかない。
あなたに、未来はありません。もう、疲れてしまいました。
「……ダリルなら、いい。彼に殺されて、終わりにしよう。お前の目論見は外れる。残念だったな、蛇」
あなたの声音は哀愁を帯び、それでいてどこか晴々としていました。
その声から、何かを感じ取ったのでしょう。
『……そなた、ひょっとして、あの小僧が好きだったのか?』
問われてあなたは考えこみ――さほど悩むこともなく、頷きました。
「……うん、たぶん」
それは、野良犬が餌をくれた人になつくのと、似たようなものでしょう。
誰にも温かな手を差し伸べられずにいた子どもが、最初に優しくしてくれた相手を慕った。
それだけの、単純で馬鹿馬鹿しいことです。
刷り込みのようなものと言われれば、そうかもしれません。
あなたは、自分に優しくしてくれたあの少年が、好きだったのです。
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0