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あかね雲

□ 硝子の瞳のあなた □

15 野良犬の恋


 風の勢いで逃げだし、寮の部屋に逃げ込んだあと、あなたはしばらく会話もできない状態でした。

 やがて、息が戻ってくると、あなたは呟きました。
「――な、んで……」
 返答を期待しない呟きでしたが、答えが返ってきました。

『そなたに会うために決まっておろうが』
 何を当たり前のことを、という風に、蛇が言いました。

『そなたは有名になった。……なりすぎるほどにな。魔法使いになるのはほぼ確実、一級魔術師になるのも確実だろうて。さても、その噂を聞いて、あやつはどう思う? 他の誰でもなくあやつだけは、喜びではない感情を抱くであろうよ』
 腹の中に、氷塊を詰められたような気分になりました。

 ――言われてみれば、なぜ気がつかなかったのでしょう。

 ダリルだけは、あなたが魔と契約をして今の力を手に入れたことを知っています。
 あのとき、情に流されて誤った選択をした彼も、三年もすれば大人になります。

 頭も冷え、情と理性を区別し、自分のした選択を客観的に見れるようになっているはずです。
 そして、ダリルは、決意したのでしょう。三年前の誤りを正すことを。
「……そう、だよな……彼は、私を殺しにきたんだ……」
 あなたは、がらんとした室内を見やります。

 三年間過ごした部屋なのに、驚くほど個性がありません。個人の気配というものがないのです。
 お金はあっても、使い道がないあなたです。お金を使うのは、この部屋の室料と、あとは週に一度の楽しみの特製パンぐらい。
 衣服はいつも支給品のローブを身にまとい、部屋にあるのは同じく支給品の教材と筆記用具ぐらいです。

 教科書にはくまなく書き込みが入っています。
 遊ぶこともなく、教科書と格闘してきた三年でした。
 私物がないため散らかりようもなく、物寂しげな雰囲気のただよう部屋を眺め、小さく頷きました。

「会いに行こう……逃げてしまったから」
『遠くから闇打ちか?』
 その可能性に初めて気づいて、あなたは首を傾げました。
 同じ低魔力同士、ダリルの魔力の程はよく知っていましたし、それが急に上昇したとも考えられません。

 どうして、ダリルは真正面から会いに来たのでしょう?
 学院に密告か、あるいは出会い頭の一撃しか、彼に勝算はなかったでしょうに。
『今度こそ、殺すのだ。あやつが生きている限り、そなたの棘となる。いつ何時、その棘が浮かび上がってくるかわからん』

「――蛇。ダリルに、危害を加えるな」
『なぜだ』
 あなたは目を閉じます。

 流されるまま、学院に来て、勉強しました。実習で、魔退治にも出ました。そこで結果を出して何度か感謝を受けることもあったものの、胸の内には虚しさがありました。

 ――いつか、私は、魔の尖兵となって、人間を殺し、災厄をもたらす。
 それが嫌ならば、その前に命を断つしかない。
 あなたに、未来はありません。もう、疲れてしまいました。

「……ダリルなら、いい。彼に殺されて、終わりにしよう。お前の目論見は外れる。残念だったな、蛇」
 あなたの声音は哀愁を帯び、それでいてどこか晴々としていました。

 その声から、何かを感じ取ったのでしょう。
『……そなた、ひょっとして、あの小僧が好きだったのか?』

 問われてあなたは考えこみ――さほど悩むこともなく、頷きました。
「……うん、たぶん」

 それは、野良犬が餌をくれた人になつくのと、似たようなものでしょう。
 誰にも温かな手を差し伸べられずにいた子どもが、最初に優しくしてくれた相手を慕った。
 それだけの、単純で馬鹿馬鹿しいことです。

 刷り込みのようなものと言われれば、そうかもしれません。
 あなたは、自分に優しくしてくれたあの少年が、好きだったのです。


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Date:2015/10/25
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