つい先ほど、矢のような勢いで駆け抜けた道を、とぼとぼと歩きます。
公園に戻ると、意外なことに、彼はまだそこにいました。
「……ダリル」
呼びかけるとぱっと顔を輝かせて駆け寄りました。しかし、あなたの顔を見て、その勢いも衰えます。
そして、ダリルはあなたの前に立って、ぎこちなく微笑みました。
「あー……その、久しぶり? 元気そうで、よかった」
あなたはいつものように、黙って見返します。
「あっちで話そう?」
ダリルが指差したのは、公園の一部で小高い丘になっていて王都を一望できる場所です。急な階段があることと、吹きさらしで寒いことで、人がいません。
人がいないことは、大事です。これからあなたは、ダリルに成敗されるのですから。
あなたは頷きました。
急な階段を昇って丘に移動すると、丘の端ぎりぎり、手すりに背を預けて、ダリルは振り返りました。
「もう一回言うけど……元気そうで良かった。俺、冒険者になったんだ」
それは、ダリルの姿を見たときから、わかっていました。夢を叶えたのでしょう。
「俺……、お前に命、助けられた。お前はたぶん気が付いていないと思うけど……あの町に、俺もいたんだ」
あなたははっとしてダリルを見つめます。
まさか――あの馬車に乗っていたのは、本当に彼だったのでしょうか。
「魔が目の前で、もう駄目だ、って思ったとき、お前の魔法がやってきてさ。一面全部凍りついて……死ぬ直前に自分に都合のいい夢でも見てるのかと最初は思ったぐらいだ。
――お前のお陰で助かった」
「……本気で言っているのか? ダリルを助けるつもりなんて、まったくなかった。売名行為に決まっているだろう」
何故かダリルは苦笑すると、頭を下げました。
「それでも、お前のお陰で俺は助かった。あの町の人たちも助かった。――ありがとう」
これから、ダリルは自分を殺すのに、なぜこんなことを言うのでしょうか。
束の間疑問を抱きましたが、あなたはすぐに答えを見出しました。
そう、殺すからこそです。
ダリルは律義で、優しい少年でした。命の恩人のあなたを殺す前に、きちんと謝意を伝えようとするのは、まったくもってあり得そうなことでした。
なら、あなたの言うべき言葉は決まっています。
「気にしなくてもいい。充分に報酬はもらった。それに、魔法使いとして当然のことだ」
正確にはあなたはまだ魔法使いではありませんが。
しかし、顔を上げたダリルの顔は、赤くなっていました。
「そそ、それで……その……」
急に、ダリルがあなたの右手を両手で握りしめました。
「一人前になったら、言おうと思っていたんだ。無茶な実戦修行もしたし、力もつけた。だから、その」
「……?」
ダリルは息を吸い込み、思いきったように言いました。
「三年前からずっと好きでした。付き合ってください!」
――あなたは、ぽかーんと、口を開けるしかありませんでした。
◆ ◆ ◆
「……え、え。何を、言って……」
思春期の子どもが集まっている学院です。恋愛沙汰は頻繁で、何かと目を引くあなたもまた、例外ではありません。
異性(時には同性)から告白を受けることは頻繁でした。
中には貴族も多くいて、婚姻を前提に、と言われることも多かったものです。魔力は遺伝しますから、『氷嵐』という二つ名を既に持ち、一級魔術師確実と言われているあなたなら平民であってもという人間は多かったのです。すべて、あなたの無言の氷壁の前に心折れて去っていきましたが。
――けれど、彼らとダリルでは決定的に違うところがあります。
それは、あなたが魔と契約し、両親を手に掛けたということを、知っている、ということです。
「なんで、そんなことを……。私が、どういう人間なのか、ダリルは知っているだろう?」
「知ってる! だからすんげー考えた。とことんまで考えた。――俺と結婚して下さい。んでもって、二人で山奥で暮らそう!」
「ちょ……ま……待って……」
能面のような白い顔に血の気がのぼり、紅色に染まっていきます。
それを目で楽しみながら、ダリルはあなたの手を握ったまま怒涛の攻勢をかけました。
「大丈夫、俺が稼ぐから! ひとりぐらい……ううん子ども三人は欲しいからそれぐらい余裕で稼げるようになったから! 俺が稼ぐから、お前は人も魔もいない場所で、穏やかに暮らせばいい! それなら問題ないだろ?」
あなたもそれで気がつきましたが、今のように権力の中枢近い王都で魔に乗っ取られたら、甚大な被害が出ます。
ですが、人里離れた山奥でならどうでしょう?
……どの分岐を選んでも行き止まりの絶望しか見えなかった未来に、初めて希望が見えた瞬間でした。
少し、心が揺らぎました。
とはいえ、即断できるようなことでもありません。
「す、好きって……な、なんで……」
水晶で作られたような少女が焦りと羞恥で顔を紅潮させている様子は、なんとも華やかで眼福です。常態を知っていれば特に。
それに見惚れながら、ダリルは告げました。
「三年前から。すぐに追いかけたかったけど……その時の俺は、お前に、とても釣り合わなかったから、力をつけたんだ」
あなたは俯きました。頬が焙られたように火照っています。
何度も口を開きますが、何も言えずに閉じることを繰り返しました。
「私は……両親を、殺したんだぞ?」
ダリルの顔が、引き締まります。彼は、真面目な顔で頷きました。
「うん」
「……それで、なんで、……」
「――お前が、自分勝手な理由で、『親』を殺したんなら、俺だって見下げた奴だと言い捨てて、それで終わりにしたと思う」
「……」
「でも、お前の親は、『親』じゃない。子どもを作ったから、だから親になるんじゃないんだ。子どもに愛情を注いで、守って、それで初めて『親』になるんだよ。そうでなければ、それは単に作っただけだ」
親は、いつから親になるのでしょう。
子どもができたら、自動的になるものでしょうか? いいえ。それは単なる作成者でしか、ありません。
「お前の両親は、『親』じゃなかった。……だから、お前は、彼らを憎んでいいんだ」
めりめりと、凍らせた心の扉が力ずくでこじ開けられていきます。
あなたは自分の肩を強く抱きました。そうしないと、崩れ落ちてしまいそうで。
「俺は……結局のところ、お前の気持ちを分かってやることはできないと思う」
完璧な親などおりません。小さな不満はありましたが、ダリルの親は彼を愛し、ダリルは幸せに育ちました。
そしてそのことが、今は負い目となっているのでした。
「でも、だからこそ、俺はお前を責める資格がない。それはわかる。お前が両親を憎み、手にかけたことを、いい事だとは言わない。――でも、悪い事だとも、言わない。断罪する資格は、俺にはないから」
反則でした。
あなたの罪を唯一知る相手が、まさか――、こんな優しい言葉を向けるとは。
「う……」
あなたは、口元を覆いました。
青い目から、大粒の涙が転がり落ちます。
「……、ダリルの言う通りだった。あなたが正しかった」
ダリルが慌てているのを視界の端におさめながら、あなたは泣きじゃくりながら言葉を続けました。
あの時、ダリルはあなたを止めたのです。親のためではなくあなたのために、そんなことをしてはいけないと。その時は無視しました。でもその結果が、今です。
望んでいた通りの高魔力。望んでいた通りの優遇。選出されて王都へ行き、そこでも賞賛を浴び――そして、何も、残りませんでした。
一度魔の誘いにのったあなたには、どれだけ栄達を極めようが、先のない未来しかありませんでした。
「両親を殺しても何もならなかった。虚しいだけだった。先が……どうしようもなく、手詰まりで。私は、いつ死のうかと、そればかり、考えていて。道が、道が、どこにも、なくて……」
自業自得、かもしれません。
魔の誘惑にのり、その手を取ったあなたには、かといって、その力を利用しのしあがろうという欲望もありませんでした。
かつて魔と契約した人間には、何か強い目的がありました。復讐、権勢欲、名誉欲。そのために魔と契約してでも力を手に入れ、動いたのです。
彼らの自らの欲望に忠実な、短くも鮮やかな一生は、魔にとっても最高の暇つぶしでした。
――そしてそれは、あなたには決定的に欠けているものでした。
欲は、生きていく原動力にもなれる力です。
それがなく、いつか己が人間への害毒になると判っていれば、残る答えはいつ死ぬかというもののみです。
それなのに――ダリルはあなたの罪を許しました。そして、あなたに、新しい道まで示したのです。
泣いているあなたを、迷った末ダリルはそっと抱き寄せました。
その銀の髪を撫でて、存分に泣かせてあげます。
ついでにあらわになったうなじにちょっとばかり不埒な目を向けたり、女の子の体は柔らかいなーと思っていたのは秘密です。
でも、三年前笑顔に一目惚れしてずっと好きだった女の子が自分の胸で泣いているのです。少しぐらいどきどきするのは仕方ないことではないでしょうか。
「俺が、守るから。守れるように、なったから。だから、結婚して、ほしい」
返答はなく、あれ外したかなと不安になったころ――あなたの左の肩口から、黒い細長いものが立ち上がりました。
『言うのお、小僧』
「でたな、蛇」
ダリルは舌打ちし、手を離して距離を取りました。
「俺の提案は、お前にはほとほと都合の悪いものだろうよ」
『いや? そうでもないぞ?』
戦闘態勢に入っていたダリルが、すこし、構えを解きました。なじるような眼差しで、蛇を見ます。
「……お前が、誘惑を囁かなければ……」
口惜しそうにダリルは言いますが、その言葉は力ないものでした。
三年前、蛇の言った言葉の刃は、ダリルにも深く突き刺さっていたのです。――もし、この蛇がいなければ彼女は今頃。
『我が此の娘と契約を交わしたのは、一に気まぐれ、二に暇つぶしよ。この娘を利用しての潜入工作など、正直言って、どうでもよいのでな』
「それを、信じられると思うか?」
ダリルはそう返しましたが、あなたがこれまでの蛇の態度を思い出してみると、気まぐれと暇つぶしというのは、あり得そうな話でした。
三年前、ダリルを殺さなかったことも、今殺さないことも、これからについて、口先ではそそのかしてはいましたが、さほど興味がなさそうであったことも。
『ふふ。信じずともよい。あの晩、そなたは我に啖呵をきったな。感情のない人間などおらぬと。……そうかもしれぬ』
話の道筋がわからず、ダリルは油断のない目で見つめます。
『そなたが正しかったことは、この娘を見れば明らかであろう』
あなたは顔を上げ、余計なことを言うなときっと睨みます。
「蛇!」
泣いていた顔は紅潮し、目は赤く、羞恥が浮かんでいます。
いつもの人形のような顔からは想像もつかない、いくつもの感情の絡み合った顔でした。
この様子を見て、あなたに感情がないという人はいないでしょう。
『所詮は暇つぶしと気まぐれよ。予想だにしていなかった変化を見せてくれた礼に、邪魔しないでいてやってもよい。が』
「……が?」
油断なく、ダリルは身がまえます。
ここから条件が出てくるのだろうと。
あなたに取りついた高位の魔を封じるにあたり、ダリルは覚悟していました。
正面から戦っても、勝てないに決まっています。封じるには、何か、取引をしなくてはならないだろうと。
身を削り、代償としてなにかを差し出さねばならないだろうと。
代わりに自分が木偶にされるか、あるいは……。
……それを考慮しても、恋心はつのるばかりで、諦められなかったのです。
しかし、蛇は言いました。
『鈍いのをなんとかせい』
「……はあ?」
予想外の言葉でした。
『鈍いにもほどがあるわ。この娘の様子を見て、まだわからんのか?』
ダリルはまじまじとあなたを見て――あなたはさっとその視線から逃げて俯きました。
その動きにあわせ、肩までの長さの銀の髪が二つに割れて白いうなじが見えました。そのうなじは真っ赤です。
普通の少女なら異性に告白されたばかりの反応としておかしくないものですが、ダリルは三年前までのあなたを知っています。
そして、いまだに影で『凍結人形』と揶揄されていることも、噂に聞いていたのです。
あなたの反応自体が、答えのようなものでした。
実際あなたは混乱しつつも、圧倒的な羞恥に身を焼かれつつも、嬉しかったのです。
「あ、あの……、結婚、してくれる?」
ダリルのおずおずとした問いに、あなたは黙って……、こくりと頷きました。
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