翌日、学院に激震が走りました。
学年主席、学生の分際で二つ名をもち、魔法使い試験合格と一級魔術師合格間違いなしと言われた十年に一度の天才が、突然担当教師にこう申し出たのです。
「結婚するので退学します」
――言われた相手こそ、不幸でした。
「…………」
頭が真っ白、というのは、こういう顔を言うのでしょう。
次代の魔法使いの育成は重要事項ですから、配置された教師陣も優秀な人材です。実戦を経験し、臨機応変に対応できる即応力あふれた優秀な魔法使いばかりでしたが、その彼にして、十秒ほども絶句していました。
「……なん、だ、って?」
重ねて言いますが、次代の育成は大事です。この次代というのには、「結婚して子どもをつくる」ということも含まれています。
ですから、優秀な人材があつまる学院内では恋愛沙汰や、学生結婚や、果ては妊娠出産まで、許容される風土がありました。
ですから、ただ生徒が結婚する、というのでしたら驚くに値しません。
学生課でちょっと登録情報を未婚から既婚へいじれば済むことです。
妊娠したので休学します、というのも驚くことではありません。魔力が強い人材の妊娠も出産も推奨されていますので、校則違反だとがなるような教師はいません。大らかに祝福されますし、女生徒は少しの間休学すればいいことです。
しかし――それを言い出したのは、あなたなのです。
顔こそ美しいもののいつも無表情で、今現在も表情一つ変えずに教師に申告し、『人形姫』と影で言われている生徒です。
「け……っ、こん?」
「はい」
「い……いや、結婚したからと言って、どうして退学するんだ? 妊娠したのか?」
「いいえ」
このやりとりの間も、あなたの表情は一片たりとも変わりません。
凍てついた表情のままです。
「な、なら! 結婚したからと言って、退学する必要はないだろう! 結婚大歓迎だ! 既婚の学生だって沢山いる。あと三カ月で卒業だ。そうすれば魔法使いの資格も、一級魔術師の資格だって……!」
「彼が移住するというので、私もそれに付き添いたいのです」
「は、はああ? ちょ……ちょっとまて。ちょっと待った! なんでそれでそうなる!」
教師は混乱しています。
それはそうでしょう。あなたの実力なら、宮廷魔導師になることも夢ではなく、全ての魔導師の頂点に立つ筆頭魔導師になることすら、充分可能性があります。
そうなれば貴族として一家を立てることが許されますので、最低でも子爵位は与えられるのです。
もちろん高給ですし、名誉もあります。
信賞必罰が機能していなければ、百年も戦争を続けられるはずもありません。その辺はしっかりしています。
庶民から見れば夢のような立身出世でしょう。それが、現実性を帯びてきているのです。
なにより。
「なんだその男は! 君の未来をなんだと思っている! なんなら私が直談判してもいい。君の才能をなんだと……!」
「先生。私が、決めたのです」
しずかな、揺るぎない意志を感じさせる一言に教師の顔が歪みました。
絞り出すような声が告げました。
「国として……君ほどの逸材をむざと手放すわけにはいかん」
この国は、魔と長らく戦争をしています。
そして、あなたは、次代のエースと見られている優秀な生徒です。手放すわけにはいかない人材なのです。
「先生。学院の校則には、学院の退籍は自由意志によってできるという一項があったと思いますが」
確かに、その一項はあります。
ですが、誰が約束された栄光を投げ捨てて田舎に引っ込もうという人間がいるでしょう。それは、あくまで学院の勉強についていけなくなった生徒が使う条項で――教師はそこまで考え、ふと思いいたりました。
学院を退学しても、習った技術が消えるわけではありません。
魔法使いになれば、数々の特権と引き換えに、義務をも負います。そう、緊急招集があれば駆けつけなくてはいけませんし、住んでいる町が襲撃されれば最前線に立たねばなりませんし、国に命令されれば従わねばなりません。
魔法使いの義務を負わない魔法使い――。
「駄目だ。いいか、君の育成には国費が使われているんだ。結婚したいのならばすればいい。妊娠したのならば休学もよしだ。だが自分勝手に退学するというのなら、学費を返還したまえ。それが筋だろう」
教師は胸を張って言います。
正論でした。
あなたは相変わらず不自由な表情筋をそのままに、問い返しました。
「わかりました。いくらですか」
……その平然とした口調に顔が引きつるのを感じながら、教師は言いました。
「き、金貨五百枚だ」
「わかりました」
いつも通り冷静沈着を絵に描いたような声と顔でした。
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