一週間後、リオンは養母とのお茶会の模様を報告した。
あの日、王子の方から、義母と親睦を深めたいという旨を伝えると、素早く歓迎の意が返り、その日の午後には、一緒に茶席につくことができた。
日光を反射して輝く金の髪、吸い込まれそうなブルーアイ。見惚れるほどに端正な目鼻立ち。輝ける王子と噂のリオンの姿は十二歳にもかかわらず、茶会の席の女性すべてに感嘆のため息を吐かせるに足りるものだった、とは言っておこう。
ただ、本来の目的の方は、十分にはほど遠いものだったが。
ジョカは、前回前々回と同じく、手ずから淹れた茶を王子の前にならべ、テーブルに頬杖をついてにやりと聞く。
「それで首尾は?」
「……よく、わからなかった」
リオンは、悄然とうなだれる。
学問においても武においても、平均以上の能力を示してきたリオンが味わう初めての挫折だった。
リオンはこれまで、自分の能力が足りないと思ったことはない。
王族付きの教師たちは、王族といっても容赦はしない立派な人間だが、厳しい指導にもリオンは問題なく応えてきたのだ。
だが、眼前で愛想よくにこやかにしている王妃を見たとき、この笑顔を信じていいのかそれとも疑うべきなのか、自分の中を探って一つも手掛かりがないのを見て、リオンは愕然とした。
これまで研鑽してきた学問も、武術も、手助けにはなってくれない。
「ひと」という生き物の内心を解きほぐす助けとならない。
事情が、王家内部の複雑な関係であるため、いつも相談相手にしている教師にも相談できず、かといって父にも言えず、リオンはむしろ今日を心待ちにして来たのだ。
「ヒントやったろ。使用人は?」
「……みんな私の方を見て見とれていた……」
ジョカは片手で額を押さえる。遠慮会釈なく言った。
「アホ」
「…………」
ひさびさにこめかみが引きつるのを感じながら、リオンはジョカを見返す。
「茶会の時、王妃が人にあれこれ命ずることがあっただろうが。その時の使用人の反応はと言っている。まさか、主人に命じられても王子に見惚れていたわけじゃあるまい」
「あ……見て、なかった」
「まったく駄目だな、このまぬけ」
リオンは引きつる頬をそのままに保つのが精いっぱいだった。
この自分に、こんな物言いをする人間は一人もいなかった。
「もう一遍行け。ついでに弟王子も手なずけてくると色々楽だぞ」
「……そう、だな」
「あるいは、人を使うっていう手もある。まあこれは今はお勧めできないが。王子は第一王子だ。大勢取り巻きはいるだろう。その中に、こいつなら人柄が信用できると思う人間はいるか?」
取り巻きの顔ぶれを思い出す。いずれ劣らぬ、立派な家柄の貴族の子息である。
リオンは黙ってかぶりを振った。
「じゃあ駄目だな。なんで今は、って言ったのか、わかるか?」
リオンは考え、正答を得た。
「……人を見る目が、ないから」
リオンは、自他ともに認める誇り高い人間だ。自分の欠点を、自分でも認めざるを得ないのは、とても辛く屈辱的だった。
それでも認められるあたりが、ジョカがリオンを気に入る点なのだが。
そしてまた、ジョカは容赦なく肯定する。
「そうだ。王子は、何もしなくともちやほやされる、そういう生まれだ。周囲みんながちやほやしてくれる、そういう環境で育つとな、ちっとも人を見る目が育たん。人を見る目がないと、人を使っても部下に往々にして、『騙される』。今のうちに努力して、目を育てることだ」
「しかし……人は皆、私に丁寧で丁重だ。ジョカは例外として。どういう人間なのかなんて、どうすればわかる?」
その丁重な態度が、人柄からのものか、礼儀としてのものか、第一王子に取り入ろうというものか。その見極めをどうつければいいのか。
リオンは身振りで必死に訴えた。ジョカは平然と頷く。
「そりゃそうだろ。第一王子に横柄に接する人間なんざ、俺と王ぐらいだ。そうしなかったらアンポンタンだ。アンポンタンが王宮の使用人の試験に受かるはずがない。よってそんなアンポンタンは王子の側にはいない。……だからな、王子。人を使う必要があるんだ」
「え……?」
「王子に対しては丁重で優しいだろうさ、誰しもな。だが、同僚に対してはおのずと違う。王子なら、ここまで言えばわかるはずだ」
リオンは重苦しく沈黙した。―――わかる。
だが、
「……その最初の一人を、どう見つければいい?」
ジョカは手を伸ばし、リオンの額を指ではじいた。
抗議しようとして、ジョカの真顔に、声になりかけの空気が行き場を失って喉で震えた。
「なんでもかんでも俺に聞くな。頼りグセがつくぞ」
そっけない声だが、リオンには痛烈な叱責だった。
全身を苛む恥ずかしさに、逃げ出したい気分になった。頬が熱いのが自分でもわかる。
なんて―――なんてことを!
自分の頭で考えず、ジョカに頼り切っていた。
なんて無様か!
「いいか、王子が次の王だ。政策も何もかも、王子が決めた通りに国は動く。この国という巨体の行く先を、王子が決めるんだ。決めるのが怖いとは思っても、それを部下には見せてはいけない。そういう役を、王子はいずれ担う。だからこそ、何もかも俺に頼ってはいけない。わかるな?」
俯き、黙って何度もうなずいた。
王が、誰かの言いなりになったら、それで国はおしまいだ。
リオンは顔を上げた。
紺碧の海のひとしずく。見事なサファイアブルーの瞳が、ジョカを見つめた。
「ありがとう。私を指導してくださり、感謝する」
ジョカは満足げに頷く。
「その誇り高さと潔癖さは、王子の取り柄だな」
そこで、ふとリオンは気になった。
「……父上もこんな努力をしたのか?」
ジョカはひらひらと手を振る。
「あいつ、俺の好みじゃねーし。指導なんてしないから他に言うやついないし。それでも、長子として生まれたから、王にはなれたぞ。ただ王になるだけなら、怪我や病気にあいさえしなければいい。そういう生まれだろう、お前も」
さらりと言われた言葉の重みに、息が詰まる思いだった。
そう、王になるだけなら、努力など要らない。そういう生まれだ。リオンも。
幾千万の、どうあがいても王になれない人々がいる一方で、リオンはただ、生きていれば王になれる生まれだ。
「で、では……父は」
「平和なご時世に王様やるのに、人を見る目なんざそうそう必要ねえなあ。ところどころで部下に騙されちゃいるが、ま、大勢に影響ない小悪だな。いい王になろうとして、普通の王さまやっているな」
これまで尊敬し、仰いでいた父の姿が、ジョカの容赦ない言葉で剥がされていく。
それを堪らない思いで聞いた。
なのに、ジョカが嘘をついているとは思わないのだ。ジョカは、おそらく真実をありのまま、述べている。
なんでそんなことを知っているのかとは、思わなかった。ジョカは、人知を超えた力の持ち主だ。
ジョカは打ちのめされたリオンを見て、喉の奥で楽しげに笑う。
「俺は本当に王子を気に入っているよ。傷つけられた誇りに燃えて、毅然とこちらを見返す瞳が一番のお気に入りだが、そうやって打ちひしがれている様子もまた美しい。どんな表情でも美しいというのは、また稀有な存在だな」
ジョカを睨む目にも、今は力が入らず、すぐそらしてしまう。
それをジョカは満足げに見つめる。
打たれても打たれても、より一層強くなって立ち直る人間がいる。この王子など、その典型だ。
その誇り高さは、自分のこんな弱さをそのままに放置できやしないから。
こういう人種には、挫折こそが最良の薬だ。
王子はまだ十二。叩きのめし叩きのめし叩きのめしたあと、どれほど美しく見事な姿となるのか、ジョカはそれが見たかった。
……そうして育て上げた花が滅びる様は、さぞ美しいに違いない。
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