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あかね雲

□ 硝子の瞳のあなた □

22 謝ってはいけない



 翌朝の目覚めは、気だるく、温かく、満ち足りたものでした。
 すぐ隣のぬくもりがいなくなって、あなたは目を覚まします。体を起こすと、足の間に痛みが走りました。

「つ……」
 すぐ近くにいたダリルが慌てたように駆け寄ってきました。
「だいじょうぶ?」

 立ち上がるのにも、衣服を整えるのにも、ダリルが手を貸してくれました。
「ごめん、昨日俺が無理させたから……」
 あなたはその言葉に眉をあげます。

 体の細いあなたがダリルを受け入れるのに苦痛が無かったとは言いませんが、苦痛を補って余りあるほど――幸せでした。
 好きな男とふれあい、抱きしめあうことは、とても幸せで、気持ちのいいことでした。
 口づけられた個所はまだ熱を持っているように熱く感じられ、体の節々の痛みさえ愛しいものです。
 ……なのに、謝られては。

奉魔コール。《治癒》」
 これから騎乗するため、癒します。
「ごめ……」
 再度謝ろうとしたダリルの唇に、あなたは指をつけました。

「謝ってはいけない。謝られるような事を、していないのだから」
「――うん」
 食事をとり、帰る道中もダリルはあれこれとこまめにあなたの世話を焼きました。その顔がにやけていて幸せそうなのはご愛敬というものです。

 そして王都につき、清算すると、ダリルは言いました。
「一週間後に、出発しよう。……いい?」

 ダリルにもお別れの挨拶をする相手がいるでしょうし、あなたにも色々な手続きがあるだろうという配慮の見える提案に、あなたは頷きました。
 実のところ、人間関係の希薄なあなたには、書類上の手続きがあるだけなのですが。

 ダリルはあなたを見つめ、真顔で言いました。
「一度間違えても、それでおしまいじゃない。生きている限り、やり直せる。幸せになる権利は、誰にだってあるんだ」

 ゆっくりと、ダリルがあなたに言い聞かせるように言うのは、気づいていたからでしょう。
 幸福な恋物語を、両親を殺したあなたの『めでたしめでたし』を、あなた自身は信じていないことを。

 口ではそうなりたいといい、そうするために動いていながら、その実、あなたは自分にそんな『幸福な終わり』が来ることを信じられないことを。

 表情を凍らせ、ダリルを見上げて何も言えないでいるあなたを、ダリルは痛ましいものを見る目で見ます。

 ――美しい少女です。
 百人いれば、九十人がそういうでしょう。
 けれど、その顔に表情は浮かんでいません。
 泣いたり笑ったりという感情を根こそぎ掘りつくされたような無表情。
 凍てついた瞳です。

 小さい頃のあなたは、「異形の美」でした。痩せすぎていて、無表情で、到底普通なら美しいと感じるものではないはずだったのですが、――美しかったのです。
 人は均衡性(シンメトリー)に美を見出すと同時に、異形にも眼を奪われるものです。普通の見慣れた造形は意識にも昇らず無視しても、歪んだものには足を止めるものです。
 あなたは、その異質さゆえに人の目を引きました。そして目を止めてみれば、そこにいたのは整った顔形の少女です。

 どれほど見目が整っていても、それに気づかれずに通り過ぎられては意味がありません。整っている、というだけです。人の目を集めずにいられない何かをもつ存在こそ、「美しい」というのです。
 あなたの場合、それが異形でした。
 かつてのあなたは一般的な美少女ではありませんが、美しくはありました。きっかけ一つで崩れさる砂の城のような緊張感をはらむ、異質な美しさでした。

 けれどそれは昔のこと。

 今のあなたは、体にそれなりに肉がついています。少なくとも骨と皮ばかりの姿ではありません。
 今なら美少女といって誰も否定しないでしょうし、十中八九ダリルより年下に見えるでしょう。小柄なあなたは、十五ぐらいにしか見えません。
 そして、魔力も高く、学院で才能を認められています。
 人もうらやむ恵まれている人生としか見えないでしょう。

 でも、幸せではありません。

 あなたが自分を幸せだと思えないのなら、あなたは幸せではありません。

 あなたは「自分が幸せになってはいけない」と思っています。
 心の奥深くで強く、思っています。罪の意識が鎖となって心に絡みついています。好きな人に抱かれて幸せを感じても、自分が幸せになれるとは思えないのです。
 あなたの心は、両親を殺した罪悪感と諸々の感情がからまったまま、あの日に置き去りになったままです。
 
 それを、ダリルは気づいていました。

「――俺は、諦めないから」
「……」
「俺は、誰にも言っていない。俺が死んだときのために叔父さんに言っておこうと思ったけど、言えなかった。その意味わかる?」

 冒険者として、無茶をして力をあげるということは、それだけ死ぬ危険があるということです。
 なら、自分が死んだ時の為に、言伝なりを頼んでおく必要がありました。――あなたを、野放しにしないために。

「俺は、諦めない。君が好きだから、君を幸せにする」

 ダリルはできませんでした。あなたを審問官に引き渡し処刑する未来を、拒絶したからです。
 そのために、自分の人生と可能性、すべてを賭けました。
 誰かに漏らしたら最後、あなたは殺されるでしょう。
 あなたの秘密を誰にも言わず、ただ一つの未来に賭けたのです。

 ――あなたの中の魔と取引し、あなたの心をつかみ、あなたと二人で幸せになるという未来に、すべてを。

「君が何と言おうと、幸せにする」

 予想していたより遥かに順調に事態は進んでいます。あなたはダリルを見て、ダリルの手を取ってくれました。一番の懸案事項も、とりあえず小康状態です。
 ここまできて、ダリルに諦める気は、毛頭ありませんでした。

 ダリルは欲張りでしたので、ダリルだけの幸せでは足りません。
 あなたが幸せでなくては、ダリルも幸せではないのですから。

「あの日から、ずっと好きだった。俺は君じゃなきゃ嫌だ。二人で幸せになろう」
 ――あなたは、答えられませんでした。

 別れ際にダリルは額に唇を押しあてて言いました。
「明日、また、会いたい。会える?」

 あなたは頷きました。

     ◆ ◆ ◆

 今回の狩りで、学費はたまり、少し余りました。
 金貨二十枚。かなりの額です。人一人の一年分の生活費に相当するでしょう。あなたはそれを、これまで手伝ってくれたお礼としてダリルに差し出そうとしましたが断られました。

「引っ越しの費用にしよう」
 という言葉に、あなたも頷きました。
 新居を構えるのには、いろいろと物入りなものです。家具も買わねばいけません。

 返済すべき学費を学生課に納めて、あなたは寮に戻りました。
 あなた自身について、手荒い対処がされる心配はしていません。
 無理矢理拘束されて最前線に引き出された人間が、まともに従軍して味方してくれる、なんて思う者はいないからです。
 情と理をつくして説得はしても、それ以上はできないのです。

 それに、国家単位で見れば、あなたは手段を構わず確保したい戦力とはいえません。
 市井の基準でいえば一級魔術師は大変珍しいです。出会うことすら稀な存在でしょう。

 ですが、国という単位で見れば、あなたと同等以上の魔法使いは万を下りません。そのうち、あなた以上の魔術師も数千はいるでしょう。
 実戦経験の有無は戦闘力に密接に関わります。あなたは遠い安全なところから狙い撃ったことしかなく、血みどろの戦争をしらない。知らない分、弱いのです。
 強硬手段を取ってまで確保しなければならないほどの存在ではありませんでした。  
 
 あと数日で見おさめであるだろう室内を見回して、教科書をまとめます。
 その時、扉がノックされました。

「どうぞ」
「失礼いたします」
 淑やかに挨拶して入ってきたのは、丁寧に手入れしていると思われる長い金髪を背に流した同年代の少女です。

 顔見知りです。……あなたはこの学院に顔見知り以上の関係者など、いませんが。
「ローズワークス伯令嬢」
「話を聞きましたわ。退学なさるそうですね」
「はい」

 躊躇なく頷いたあなたに、令嬢のきりりとした眉がつりあがります。
「何を考えていらっしゃいますの? わたくしたちは、この国の盾となるべき存在ですのよ?」
「私は平民ですが」

 多くの権利があるからこそ、より多くの義務を果たさなければならない。それがこの世界の貴族のあり方です。逆に言えば、あなたは平民です。義務はありません。
 一瞬怯んだ令嬢ですが、すぐに立ち直りました。

「そうですわね……あなたの出自に関して、影で色々と耳に入れるのも汚らわしい噂が流れているのは聞いております。その噂のせいとあなたが言うのでしたら、それを止めなかった責は私にもあります。それについての責めは甘んじて受けましょう」

 その噂についてはあなたも聞いた覚えがあります。庶民だから、というのは「定番」ですが、それにとどまらず、実の弟とみだらな関係をどうたら、というものです。
 出所は……まあ、あのとき同じ馬車に乗っていた、今はもう退学した同郷の生徒でしょうか。

 彼女は誤解しています。
 そんな噂はあなたにとってはどうでもいいものだったので、放置したのです。手っ取り早く、ダリルには証明したことですし。

「あなたには才能がありますわ。悔しいけれど、私は最後まであなたに勝てませんでした。私は貴族です。率先して戦場へ出ることが、貴族のつとめ。それは、あなたにも言えるのではありませんか?
才能は、万人に与えられるものではありません。それはあなたもご存知でしょう? 人は、平等ではありません。だからこそ、才能を与えられた者は、与えられなかった者に恥ずかしくない態度をとらねばなりません。なぜ、あなたはご自分の才を投げ捨てるような真似をなさいますの?」

 才能は平等ではない。そんなこと、あなたが一番よく知っています。
 だからこそ、逃げなければいけないのですが。
 逃げるのは許さない、と言わんばかりに、令嬢の緑の瞳があなたを見据えています。
 それをいつも通り平易に受け止め、あなたは返しました。

「優秀な魔術師が、すべて最前線へと集まっている現状の弊害を、知っていますか」
 その答えは、予想外だったのでしょう。
 険しい表情が崩れました。

「え……」
「私は、辺境の生まれです。田舎町です。町には必ず二三人は魔法使いがいますが、魔術師はいません。そんな地で、強力な魔が現れたら、人はただ蹂躙されるしかありません。あるいは、なけなしの蓄えを吐き出して、遠い王都の冒険者に依頼するか、です」

「それは……」
「冒険者も生活がありますから、遠方の地の依頼は、どうしても後回しにされてしまいます。それで間に合わず、崩壊した村も少なくありません。かといって緊急手当てをつけると依頼料は二倍にもなり、村が破産してしまうこともありえます。
最前線を守ることは、確かに重大でしょう。ですが、最前線には、私の他にも多くの優秀な魔術師がいます。ならば、私は、私を必要としてくれるところへいきたい」

 すらすらと出てきた言葉は、嘘ではありません。先日から、考えていたことです。
 あなたは体力もありませんし、人並み以上にできることといったら魔法だけです。そして、ダリルはあなたを養うと言ってくれましたが、彼は冒険者。荒事の仕事になるでしょう。なら、あなたも一緒に行きたいのです。
 色んな意味で、一級魔術師相当の力を持つあなたは、役に立てるでしょうから。

 そして、それはどうやら伯爵令嬢の怒りを鎮火させるだけの説得力を持っていたようでした。
「……そうでしたの……」
 目に見えて表情から強さが消え、令嬢は一度頷きました。

「あなたのお考えも知らず、一方的な押し付けをしてごめんなさい。浅慮な行いでしたわ。許して下さいな。……結婚されると聞きましたが」
「はい。今のは、彼の考えです。私はその考えに賛同し、この地を離れることを選びました」
「学費は用立てられまして? なんでしたら……」

「大丈夫です。私には、勿忘草の町を救った時の報奨金がありますから」
 報奨金の額を知っている人間はいません。なら、それで足りたと言い張るだけです。
「そうでしたわね。――故郷へ戻られるのですか?」
「いいえ。魔の被害の多い地方を重点的に廻りたいと思っています」

 令嬢はそこで、女性の好奇心を窺わせる表情になりました。
「これはちょっとした好奇心なのだけど……どのような殿方の求婚も一言で退けたあなたを射止めたのはどんな方かしら?」
「同じ町に住んでいた幼馴染みです。それが何か?」

 令嬢は何やら複雑な顔で苦笑しました。
「ダリル・モンバッツかしら?」
 ぴたりと、あなたは唇を閉ざしました。
 彼女を見つめます。
 ――元が感情を出さないだけに、それは大人でも裸足で逃げだしそうな顔でした。

「そんな怖い顔をしないでちょうだい。でも……あなたは、少し、気をつけた方がいいわ。学費をどうやって工面したかの答えは、合格。でも、あなたの結婚相手の情報は、どんなに些細でもけっして誰にも漏らすべきではないわ。あなた、自分では自覚していないようだけれど、とても人気があるのよ?」

 人の趣味というものは判らぬもので、あなたの無表情で人形のような部分に魅力を感じる人もいるようなのです。

「――その名を、どうやって?」

「それは簡単。近頃、冒険者ギルドで、竜種が相次いで持ちこまれたと、一部で噂になっているのよ。それも、到底倒せそうもないまだ少年が、ね。調べてみたら、彼はあなたと同郷。しかも、竜種の殺害方法は、高威力の魔法弾。……ねえ、竜の鱗を貫けるほど高威力の魔法弾を生成できる人間が、どれほどいるのか、わかっていて?」

「……」
「もちろん、ここは王都ですもの。同じ芸当ができる魔術師は、千人はいるでしょう。でも、あの少年を調べれば、あなたと同郷であることはすぐにわかるわ。そして、あなたは同郷の人と結婚すると言った。……これだけ揃えば、点が線になりますわ」

 迂闊といえば、その通りでした。

「ねえ、あなたは、彼が好きで結婚するのよね?」
「はい」
「私や先生がどれほどすがっても、誰に何と言われても、退学するのよね?」
「はい」

 迷いのない返答に、令嬢は嫌味のない苦笑を浮かべます。
「羨ましいわ。……とても。あなたは自分の心にだけ忠実に、相手を選んだのね。なら、もっと気をつけないとだめ。あなたをここへ引きとめておくために、彼を人質にしよう、危害を加えようという人が、きっといるはずだから」

 ダリルが死んでしまったら――。
 それを想像するだけで、心が寒くなります。
 あなたは、今度こそ、闇の中に取り残されてしまうでしょう。あなたの所業を知り、それでも手を差し伸べてくれる人など、ダリルぐらいのものです。

「……そんな顔もできたのね、あなた」
 想像に心を翳らせていると、そんな声が聞こえてあなたは顔を上げました。
 そのときには、顔はいつもの無表情に戻っています。

「本当に、あなたは婚約者のことがお好きなのね」
「はい」
 てらいもなく頷くと、令嬢はまた、苦笑しました。今度は、羨望の混じった笑みでした。

「あなたは、嘘はないのよね。お世辞も、陰口も言わない。一方通行でしたけど……わたくし、あなたの事が好きでしたわ。お友達になりたいと、思ってましたのよ」
 あなたは、少し首を傾げて、頷きました。

 彼女があなたにそんなことを思っているとは、今この時まで、想像もしていませんでした。
 貴族で、才能溢れ、美しく、淑やかで、いつも人に囲まれていた少女。
 あなたとは対極にあるような存在です。

 ひょっとしたら……もし、どちらかが勇気を出していたら、今頃彼女と友人になれていたのかもしれません。
 もちろん、あなただけの責任ではなく、彼女の責任でもありますが。

 かつて、ダリルはめげませんでした。話しかけづらいあなたに積極的に話しかけ、答えを辛抱強く待ち、そしてあなたと友達になってくれたのです。

 彼女とまともに話したのは今回が初めてです。
 もし、彼女にダリルと同じほどの勇気があれば。
 今頃、友達になれていたかもしれません。今はもう有り得ない、仮定の話ですが。

「どうか、お幸せに」
「ありがとう」

 忠告をしてくれたことへの感謝をこめて、あなたは微笑んで頷き、お礼を言いました。
 ――その笑顔に、彼女が呆気にとられたことは、言うまでもありません。

     ◆ ◆ ◆

 その頃。
 にやにや。にたにた。むっふっふ。
 ダリルはあなたが見たら恋も冷めそうな……いやあなたの場合は冷めないでしょうが、普通だったら冷めるに違いない、だらしのない顔をしていました。

 緩みきった顔には、幸せの絶頂、とでかでかと書いてあります。
 それを見て囁くのは、以前ダリルののろけの犠牲者になった二人です。

「……おい。これは……」
「ああ。アレだろ」
「アレだよなあ……」
 ――ヤったな。

 自分も経験のある大人二人は顔を見合わせ、頷き合います。
 ダリルはまだ十八歳。少年の成長を、微笑ましい思いで(酒の肴にしつつ)ながめる年長者ふたりでした。

 ――もっとも、それもダリルの恋人を知るまででしたが。
 ダリルを訪ねてきて、時々は泊まっていく少女があなただと知った時、彼らがどう思ったのかは……、語らない方が平和というものでしょう。



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