『起きよっ!』
蛇の怒鳴り声に、あなたは飛び起きました。
場所は寮の自分の部屋です。退学手続きはしましたが、今月いっぱいは居てもいいという許可をもらったのです。
時刻は、真夜中でした。あなたはかすむ目を擦りながら問います。
「な……に?」
『はよう起きろ。お主は、恋人を無くしたいのか?』
いっぺんに事態を理解しました。
「ダリルが?」
壁掛けから服をひったくってあなたは飛び出しました。
「蛇! どこにいる!? ダリルは!?」
『知らぬな。起こしてやっただけでも感謝するがいい』
あなたはむっと黙りましたが、確かに起こしてもらっただけでも、有難いことです。さもなくば、今頃まだ夢の中だったでしょうから。
伯爵令嬢が忠告してくれたことが脳裏をよぎります。一級魔術師相当の力を持ちながら、国に縛られていないあなたを欲しがる人間は、あなたが思うよりずっと多いのです。
「
奉魔。《探査》」
敵を探すのではなく、無数の生命のなかからあらかじめしるしをつけておいた特定の個体を探す魔法です。
探査の魔法の練度は低く、索敵の魔法の半分以下の範囲しか探れません。
また、探査の魔法も索敵の魔法も、効果範囲の中心は本人です。
そのためあなたは必死で走りながら幾度も幾度も、その呪文を唱えました。
すぐに足が痛み、息が切れました。
元々発育不全で、骨格自体が細くてもろい上、女のあなたに体力があるわけないのです。
成長期の栄養不全は、後々(のちのち)まで影響を残します。あなたは栄養が足りている今も小柄ですし、この先もずっとそうでしょう。
あなたは十八歳。もう成長期は過ぎています。今から食物を充分にとっても、遅いのです。背はもう伸びないでしょう。
今でも十五歳程度にしか見えないあなたは、学院でも体練だけは劣等生でした。
けれども、それがなんでしょう。
「
奉魔。《探査》」
「
奉魔。《探査》」
「
奉魔。《探査》」
足が潰れても、肺が破裂しても、いいのです。ダリルが助かるのならば。
――どうせ、あなたは魔と契約した身なのですから。
◆ ◆ ◆
ここで少し、蛇のことを語りましょう。
蛇は、珍しかったのです。
自分を恐れない人間が。
死を恐れず、それでいて他の誰かをいとおしむことができる人間が。
蛇が契約の代償にあなたの両親の死を求めたのは、あなたの両親の死が欲しかったからではありません。
蛇が欲しかったのは、『その人間の最も重いもの』、でした。
普通の人間が、魔との契約の代償に心の中の最大のものを差し出したらどうなるでしょう?
欲望と己の中の最も重いものを天秤にかけ、そして前者を取ってしまった人間は、もう、後戻りはできません。
欲望に邁進するしか道はなく、欲望がその人間の最も重大な指針となる。それはすなわち欲望の操り人形ということです。蛇の思い通りになる玩具の出来上がりです。
けれどもあなたは違いました。
三年の間、蛇はあなたの中にいましたが、あなたは蛇を恐れることなく、へつらうこともありませんでした。
それが、蛇を面白がらせたのは間違いありません。そして、ほんのちょっぴりですが、こう思ったのです。
――あなたと一緒にいるのは悪くない、と。
あなたの心胆ぐらい、蛇にも読めています。卒業し、高い地位を得たら、あなたは自死を選択するでしょう。
だからダリルの手をとることを邪魔しなかったのです。
ダリルがここで死んだら、やはりあなたは生きる希望をなくすでしょう。
だから、あなたを起こしたのです。
あなたが生きているのと、死んでいるの。天秤にかけると、少しばかり、あなたが死ぬ方が、面白くありませんでした。
それを一言で形容するのなら、「気まぐれ」でしょう。
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0