あなたが駆け回るより一時間前。
ダリルは王都の東に位置するとある家屋に連れ込まれました。
ダリルとしても、自分の今の状況は分かっていました。金貨何十枚分にもなる竜種をつぎつぎと仕留めてギルドに持っていくのです。しかも、ダリルのようなまだ駆け出しのひよっこが。
目立たないはずがなく、噂にならないはずもありません。
それだけに彼は気をつけていました。
真っ先にあなたには隠蔽効果のあるローブを買って渡しましたし、人目のない場所には寄らない、近づかない、を徹底していたのですが……。
泊まっていた宿の窓(硝子は高級品なので、木です)に小さな穴を開け、そこから揮発性の眠り薬を落とされたのです。そして熟睡したところを、窓から攫われたのでした。
この国では、幼少時の教育で、誰でも魔法を使えます。それを悪用する人間も、ままいるのです。魔への対抗手段のはずが、人間自身へ向くことは悲しいことですが。
ダリルの体格はかなりいい方ですが、重みをゼロにする浮遊の魔法を使えば、窓から入り、窓から連れ出すのはとても容易いことでした。
そして、目が覚めたときには後ろ手に手枷と、足枷をつけられた状態だったのです。
「――目が覚めたかよ?」
ダリルは目をぱちぱちさせて、ぼやける視界を補正しました。そこにいたのは……。
「……ルテルクス」
悪い意味で、忘れがたい顔でした。
最後に会ったのはもう今から三年も前になりますが、記憶にある顔より、三歳分年を重ねさせれば、この顔になります。
「なんだ、覚えていたのかよ」
ダリルは素早く自分の状況を確認すると、会話に乗ることにしました。
にやっと、唇を歪めて笑います。
「当たり前だ。誰が忘れるかよ、お前みたいな不愉快な奴」
周囲にはこの男以外に誰もいません。夜なので辺りは暗く、光源はルテルクスの背後にある壁にかかった魔法ランプだけです。
小さな部屋の内部にあるものといったらそれだけで、明るさからして夜でしょう。手枷と足枷があるのですから、早期の脱出は不可能。会話しながら何とか隙を見てこいつを叩きのめすしかないのです。
「そうかよ、お互い様だな。俺もお前が昔っから気に食わなくてよ」
前置きなしに頬を殴り付けられました。
暴力に躊躇がない種類の人間です。
殴り飛ばされて床に転がされ、ダリルは体を起こします。
「いってえな……」
ダリルは顔をしかめますが、実のところ大したことはありません。冒険者という職業ですし、一人前になるために無茶な武者修行をしてきましたので。
自分より二つも年下の、しかも素人の拳など大した痛みでもありません。
腹が立つのは、この男の暴力の躊躇のなさです。
人に暴力を振るい慣れている人間。そしてその暴力の矛先は――ダリルの大事な女性だったのでしょうから。
「まったくふざけたことしやがって。勝手に人のものに手を出すなって親に教わらなかったのか? いいか、あいつはな、俺のもんなんだよ」
ダリルは呆気にとられ、つい正直な感想が口から洩れました。
「気持ちわりい……何言ってんの、おまえ」
言葉の意味を理解してくるにつれ、じわじわと気持ち悪さが這い上ります。
「念のため聞くけどさ、あいつって、彼女の……お前の姉のことでいいんだよな?」
ダリルはルテルクスが追放された理由を知りません。何でも、王都への移送中、罪を犯したので教師権限で追放処分になったという話でしたが、それ以上のことは知りません。女性として致命的な噂が起こることを防ぐため、何をしたのかは伏せられることになったのです。
「そうだよ」
「……」
目は口ほどに物を言う。ダリルの目にははっきり、「変態」と大書されていました。
「あいつが俺の言うことを聞かなくなったのは、お前のせいだろう! おかげで何もかもめちゃくちゃだ!」
「――は? お前、彼女のこと、何だと思ってんの? 彼女は人形じゃないぞ。人間だ。人間が他の人間のことを何でもほいほい聞くわけないだろ。人形遊びしたいんだったらお人形でも買ってきて遊んでろよ、阿呆」
会話に乗って隙を探ると決めたのはダリルですが……ついつい本音が出てしまいます。あまりにもムカムカして、つい言い返してしまいます。
結果、また殴られました。
転がったところを腹部を蹴りあげられました。
倒れ込んだダリルを見下ろし、ルテルクスが叫びます。
「わかってんだ……わかってんだぞ! お前があいつを使って、金儲けしてるって! お前こそあいつを利用してるだけのくせに!」
外側から見ればそうなるのでしょうが、生憎と、実態は逆です。もちろんダリルは納得しているのでいいのですが。
「ばーか。俺は一銭も受け取ってねーよ。それよりいい加減姉離れしろよ。変態にも程があるぜ」
ルテルクスは、旅の途中で犯罪を起こし、同行の教師が懲戒権で追放処分にしたという形になりました。
そうなると、もう故郷にも戻れませんし、戻っても彼の家はありません。親戚たちも、そんな罪を犯した人間とは関わり合いたくないでしょう。
だからもう二度と会う事もないだろうと思っていたのですが……。
「何言ってる。あいつは俺のものなんだよ。俺が好きにしていいんだ。あいつは俺に従わないといけないんだよ。そう決まってるんだ」
ここまでくると怒りも起こらず、ダリルは白けた目で見ました。
ほんの少しばかり、哀れみを感じないでもありません。彼の家では、おそらく、物心ついたときから、彼女を「殴っていい、何をしてもいい相手」として扱い、水が染み込むように、そう刷り込まれてしまったのでしょうから。
ただし、当然ながら、虐待者と虐待された者なら虐待された方により同情がいきます。
まして、その被害者の少女は、ダリルの大切な女性なのですから。
ルテルクスは、唇を片方の端だけ持ちあげて、卑しい笑いを作りました。
「お前、あいつのこと好きなんだろう。残念だったな。あいつはもう俺のお古だよ。その場面を見つかって俺は追放されたんだけどな」
少しの真実を含ませた嘘。それは、少しの真実を含んでいるが故に信憑性があり、下手したら信じてしまったかもしれません。
普通なら。
「……お前、可哀想だな」
ダリルの軽蔑のまなざし。
冷めきった上からの同情と見下しに、ルテルクスも動揺しました。
「あのな。俺、彼女と結婚するの。彼女は俺に全てを委ねてくれたよ」
ルテルクスの方は、愕然としていました。ダリルの言葉を聞き、その意味を悟って。
顔色が青ざめ、そして次第に赤く、どす黒くなっていきます。
「――キサマっ! なんて、なんてことをっ! 許さない、許さないぞっ!」
「はあ? なんでお前なんかに許してもらう必要があるんだ? 俺は、彼女が好きで、彼女も俺が好きなの。お前とは、ありとあらゆる意味で、ちがうんだよ」
ダリルが暴いた白い肌には、いくつもの傷跡がありました。彼女は自分で自分を治せるようになってから、治療をしたのでしょう。時間が経った古傷は、治癒の魔法をかけても跡は薄くなりこそすれ、消えません。
その傷をつけたのが、彼女が自分で粛清した両親と、こいつでしょう。そう思うと、殺してやりたい気分です。
ダリルは随分と恋人といるときとは違った態度ですが、好きな女の子と、大嫌いな男とは必然的に態度が違うものでしょう。
もっとも、恋人を殴る蹴るし、恋人の心に癒えない傷をつけ、恋人を乱暴しようとした男に親切にできる人間がいたら見てみたいものですが。
ダリルも若いので、刺激しないようにという判断はもう頭から抜け落ちていました。
「こっちはお前の言う事が嘘だって、わかってんだよ。てゆーか……おまえ、俺を攫ってどうするつもりだったわけ?」
殺すのなら、宿に侵入した時点で殺せばいいのです。
ここまでわざわざ手間を掛けて連れてきた以上、恐らくは脅迫の材料にするつもりなのでしょうが……。
「学院にも行っていないお前が、一級魔術師に匹敵する彼女に、勝てると思ってるわけ? お前ごときが」
「……っ、うるさいっ! あいつが、あいつがそんなに強いはずがないっ!」
ダリルはとことん哀れんだ目で見ました。
「いや、強いはずがないって……。お前、彼女が倒した竜種を見たんだろ? で、自分には同じこと出来ないから、彼女を使って同じことさせようとしてるんだろーが」
論理の矛盾を指摘すると、ルテルクスは手を振り上げました。
ダリルを殴り飛ばし、ルテルクスは拳を震わせます。
「俺は、俺は、あいつなんかよりずっと才能があるんだ。素晴らしい人間なんだ。他の奴らが間違ってる。あいつは俺の踏み台で、俺のものなんだ!」
……哀れでは、ありました。
ルテルクスは16です。幼少のころ親に覚え込まされた序列がいまだに抜けず、相手は自分より遥か上に行っているのに、それを認めることができません。
頭の中の序列と現実の不整合に、喚き散らしている子ども。――そういうことなのでしょう。
もう会話するだけ不愉快でしたので床に倒れ込んだまま、気絶した風に装っていると、新たな風の流れを感じました。
「――何をしている」
ダリルは驚いてそちらを見ます。
入口の扉が開いて、あなたが立っていました。
私の小説ではヒロインがヒーローを助けに来るのがデフォルトです。
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