一段落したのち、あなたは謝意を伝えました。
「蛇、有難う、私を止めてくれて」
「え? そいつ何したの?」
「ダリルに危険が迫っていることを教えてくれた。あと、私がルテルクスを殺そうとしたのを止めてくれた」
ダリルはまじまじと蛇を見つめました。
今、ふたりは騎獣の背にゆられながら、辺境の町へ向かっているところです。
騎獣に乗れないあなたはいつものように、ダリルの胸にすっぽりと抱かれていました。そのあなたの肩から、蛇がひょろりと出てダリルと正対しています。
「――おまえが?」
ダリルの声は懐疑的です。それも無理はなく、彼から見れば蛇さえいなければ……という気分なのでしょう。
しかしダリルはそれをすぐ胸におさめると、彼も礼を言いました。
「……そっか。うん。ありがとう」
『ふむ、なるほど。礼を言われるのはなかなか悪い気分ではないな』
あの後、結局王都にいるといつ次があるかわからない、さっさと出立するのが良い、という結論に達し、朝になって騎獣屋が開くなり、一番安い年寄りの騎獣を一頭買い取って出立したのです。
あなたはぽつりと言いました。
「私は蛇に感謝している」
『何を言っているのだ、お前は?』
「蛇がいなければ、私はきっと、あのまま家族に搾取される道具であっただろうから」
そこで、おずおずと、ダリルが尋ねました。前々から気になっていたことです。
「……あのさ、お母さん、何やってたの?」
「母? 父の暴力におろおろして、おろおろするだけだった。やがて見て見ぬふりをするようになって、最後には無視するようになった」
「……ごめん」
「母に殴られた記憶はないが、庇われた記憶もない」
「……ごめん。ほんとに、ごめん」
平謝りにダリルは謝りました。
あなたは息を吐き出し、もう一度言いました。
「蛇には感謝している。三年前、ダリルを助けてくれたこと。それからずっと側にいてくれたこと」
ダリル以外の誰かに見られたら最後なので外に出ることは稀ですが、蛇はいつもあなたの中にいて、話しかけてきました。
「俺を助けた?」
「あの町で蛇に力を貸してほしいと頼んだ。そうでなければあの魔法は詠唱できない。魔力が足りないし、そもそも、呪文すら知らなかった」
「……あ、そっか……」
「ダリル。あなたにとって、蛇は敵だろう。でも、私にとっては恩人で、そして、あなたにとっても命の恩人なんだ。私は、三人で生きていきたい。駄目だろうか……?」
ダリルは少しだけ考えたようでしたが、さほど迷う様子もなく、頷きました。
「いいよ。命の恩人でもあるし」
「……いいのか?」
あまりにもあっさりと了承されて、あなたは心配になりましたが、ダリルは説明しました。
「その蛇以上の魔は、見たことがない。とんでもない高位の魔だ。一応、対策はいくつか考えてみたけど、どれも通用しそうにないだろ。で、その蛇が俺たちを助けてくれて、敵対しないなら、こっちがわざわざ攻撃する必要もない。共存でいいじゃん」
さすがに冒険者だけあって、ダリルのこういう判断はあなたよりずっと大人でした。
敵を作らない事の大事さを、彼は知っていたのです。
『そなた変わっているのお。そうは言っても普通の者ならば嫌がるものであろうに』
「蛇。俺たちはな、ひゃーくーねーん、以上も、魔と戦ってきたんだ。勝てない相手に闇雲にかかるのは勇気じゃない。馬鹿っていうんだよ。ましてやその相手がとりあえずこっちに危害を加える様子がないっていうんなら、なおさらな」
ダリルは何やら、ため息をついて続けます。
「俺も、君も、その蛇がその気になったら抵抗もできずに殺される。だったら敵対するのは馬鹿の所業だろ。んで、これだけは聞いておきたいんだけど、俺たちを殺さないのって、なんで?」
『ふむ。気まぐれだな』
「……気まぐれねえ……。ま、下手な理由を言われるより納得できるよ。高位の魔は気まぐれだっていうしさ」
『そうとも。気まぐれだ。我が同じく気まぐれでそなたたちを引き裂きたいと思ったらどうする?』
ダリルは、あなたに目をやりました。
「勝てる?」
あなたは躊躇なく首を横に振りました。
「どう頑張っても、無理。……なんとか、ダリルを逃がすぐらいは頑張ってみるけど……」
学院の寮からダリルの捕まっていた場所まで、相当離れています。
なのに危機を察することができたということは、蛇の探知能力はあなたの数十倍で、逃げることすら至難です。それにそもそもあなたの魔力は蛇からもらったものです。対峙なんて、できないでしょう。
あなたの答えはダリルの想像通りだったらしく、ダリルは即決しました。
「――じゃ、仕方ない。その時はお祈りして諦めるさ。最悪俺たちが殺されるだけで済むだろ」
からからと笑うダリルに、あなたは体をねじって仰ぎ見ました。
「――ダリルは、ほんとに、私でいいのか?」
両親を殺した魔付きの女。魔を体にひっつけて、いつ魔が気まぐれを起こして殺されるかもしれないのです。
「うん。俺はアトがいい。町についたら婚礼の儀をあげよー」
にこにことダリルは頷いて、あなたの銀の頭に顔を埋めます。
「――わたしは……」
あなたは自分でも不可解な衝動が身の内にあることに気がついて戸惑いました。
――逃げ出したいのです。
このままダリルと辺境の町まで移動し、結婚の契約を交わし、そして?
旅をしながら一緒に、幸せに?
何もかも、忘れたフリをして、口を拭って、なかったことにして?
両親を、殺した事も何もかも?
「……私は、幸せになっては、いけない……」
「そんなことないよ」
返事は素早いものでした。
「アトーシェ。俺は君が好きで、君と一緒に幸せになりたい。幸せになりたいっていう思いは、誰もが持っているもので、当然の権利だ」
「――でも、わたしは……」
あなたは罪人です。その中でも最も罪の重い、『親殺し』です。
「うん。知ってる。でも、君が不幸になったって、いったい何になる? 誰も望んでいないし得もしない。君は、その力を使って、君が殺した命よりたくさんの人を救うことが、贖罪になると、俺は思う」
「……救う」
あなたはぽつりと呟きました。
「――アトーシェ。一度道を誤ったら、もう二度と戻れないと君は思っている。でも、この世界は、それほど冷たくないよ。君が納得してくれるまで、何度でも言う。
間違っても、やり直せる。人生はそんなに冷たいものじゃない。やり直す気があれば、やり直せるんだ。そして、幸せになる権利は、誰にだってある」
強い言葉でした。
あなたの心の殻を貫通して、奥へと響かせたいという想いの籠もる言葉でした。
何度も、何度もダリルが掛けてくれた言葉でした。
――ひとは、やりなおせる。
『……』
蛇は沈黙しています。どうやら、口出しする気はないようです。
あなたは、取り返しのつかないことをしました。だからもう、二度と正道には戻れないものと思っていました。けれど、ダリルは違うというのです。
「間違ったなら、償えばいい。修正すればいい。生きている限り、そのチャンスはある。それで、いいんだよ」
そこで、ダリルは彼らしからぬ苦みのある笑みを浮かべました。
「――正直に言うよ。こう言うのは、君のご両親を、俺がどうしても好きになれないからっていうのもある。俺が、君を好きで、弁護したいっていうのもある。結局のところ俺は君側の人間だから、そういう見方しかできない」
あなたは黙って、ダリルの言葉を聞いていました。そして、心の中を見つめて、様々なことを考えました。
「それでも納得できないっていうんなら、俺の為に。俺、君の為にすごーくすごーく骨を折ったと思うな」
「う……うん。ありがとう」
「うん。借り返してね。踏み倒してトンズラしたら一生恨むよ」
「し、しない。ダリルにそんなこと」
「うんうんよかった。――ちなみに長期分割返済で、五十年ぐらいかかるから。繰り上げ返済も認めてないから」
背負った罪悪感に竦んでいるあなたの背を押してくれているということぐらいは、判ります。
ダリルに借りがあることは確かで、踏み倒すことも性格上できません。釘もさされました。となれば、後は、あなたの心の問題です。
――あなたは、両親を殺したことを、悔いているのでしょうか?
怯えも虚飾も虚勢もなく、自分の心を見回して、あなたは一つの答えを見出しました。
その答えに歩み寄り、拾い上げる勇気は、ダリルがくれました。
……悔いています。
「……ダリル。私は……両親が死んでも、悲しいとは思えなかった。でも、喜びも……なくて。あれほど憎んでいのに、憎かったはずなのに、虚ろな穴だけが残った。私は……結局のところ、両親に愛されたかった。愛していると、嘘でも一言でもいいから言って欲しかっただけなんだ……」
あからさまな嘘でも、あの時両親がそのたった一言をくれたなら、あなたはあのまま両親のいいようにされる道具でありつづけたでしょう。
けれど、両親は、たとえ口先だけでも、あなたに媚びるようなことは言ってくれませんでした。その、偏狭なプライドから。
言葉をただの道具として、餌として、ただ一言言えば良かったのに、それさえも馬鹿にしてきた子どもにあげることを嫌がったのです。
魔力が強くなりたかったのは、そうすれば両親があなたを見てくれると思ったからです。
両親に愛されること。――それが、あなたの、本当の、たった一つの望みでした。
ダリルは、そっと手綱から片方の手を離し、あなたの頭を撫でました。
ダリルは、普通に愛されて育ちました。だから、本質的にあなたのことを理解することは、できないでしょう。
ですが、だから心を寄り添えないということはありません。
ダリルはあの日、あなたに恋をしました。
闇雲に後を追って、あの町で命を助けられ、自分とあなたの差を見せつけられました。
凍りついた軍勢を見て、胸に去来したものを、どう言えばいいでしょう。
それから三年。
ダリルは努力しました。
まずは自立すること。自分で自分を養えるようになること。次に、あなたを助けられるようになること。
魔と契約し、両親を殺害した、あなたを。
何度となく諦めることも考えましたが、答えは、諦められない、でした。
だから、あなたが考えたことは、ダリルの中でとうに答えが出ているのです。
あなたの罪を全て知り、その上で、ダリルはあなたが欲しかったのです。
感情が剥奪されたようになっていたあなたも、ダリルの前では随分と表情が豊かになりました。
恥ずかしそうに笑う顔。はにかむように笑う顔。ふんわりと、花が咲くように笑う顔。
そうなると鎌首をもたげるのは、独占欲と、優越感です。
彼女のこんな顔を知っているのは自分だけで良い、という身勝手な気持ちと、自分にそれを向けてくれることへの喜び。
今はまだ、あなたが笑顔を向けるのはダリルだけで、いけないと思っていても、それを喜んでいるダリルがいます。
ダリルは銀の頭を自分に引き寄せ、抱きしめて告げました。
「罪は償えばいい。やりなおせる。幸せになる権利は、誰にだってある。好きだよ。アトーシェ。一緒に、幸せになろう」
心をこめて囁く言葉に、ついにあなたは頷きます。それを蛇は見ていました。
――そうして、あなたは、幸せになりました。
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