同人誌でいうと三巻の後あたり。二人がいちゃいちゃしているだけのお話です。
同人誌を読んでなくても大丈夫です。
……あたたかい……。
まぶたの裏越しに、光を感じる。
たとえどんなことがあっても守ってくれるという絶大な信頼を持っている人物が、側にいる。
髪を撫でてくれている。
それだけで、満たされた気分だった。
リオンがうっすら目を開けると、優しい黒髪の魔術師が目に入った。
彼はリオンを膝に抱いて、片手に本を持ち片手でリオンの髪を梳いていたが、目覚めに気づいて本から目を離し、微笑みを浮かべる。
世界でただひとり自分にだけ捧げられる、愛情を具現化したような笑み。
それを向けられるのは自分だけ。
それを受け取る権利があるのも、自分だけだ。
この世でただひとり、リオンだけの特権。
ぼんやりと、まだ覚醒しない頭でそれを眺め、リオンはやっと状況を確認する。
ジョカが寝台に座り、その膝の上で、リオンは眠っていたようだ。
「……あれ? 私は……眠っていた?」
「あんまり根をつめてたから強制的に眠らせた」
あっさり言った魔法使いに、リオンは頭が痛くなったが、いつものことだとため息をついて流す。
この過保護で愛情過多の魔法使いは、世界に冠絶する知恵をもち、リオンが勉強するのに協力を惜しまない最高の師だが、リオンが自分の体そっちのけで勉学に励んでいると、実力行使で眠らせる。
「熱心なのはいいことだが、適度な休憩をしないと、結局は効率が落ちる。お前はそれを学べ。学べないなら俺が教えてやる」
――というのが、リオンに優しいが教育を忘れない世界最高の賢者のことばである。
たかだが十五のひよっこであるリオンとしては、ははーと頷くしかない。
ジョカは、リオンに対しては、非常に甘い人だった。いや、まだ十五でしかないリオンに対して、無分別に甘くするのはよくない、と考えるぐらいの良識はあるのだが、それをのぞけば、リオンの望みは何でも叶えようとするぐらいに、甘い。
――私が王子だったのは天の采配だな。
リオンは世継ぎの王子だった。おかげで、金銀宝石にも、権力にも興味がない。欲しがる前に腐るほど持っていた。
だから、世界で唯一の魔術師で、その気になれば一国を灰燼にきせるジョカの力を手にしても、舞い上がらずにいられるのだ。
もし、馬鹿がリオンの立場に置かれていたら――想像するだけでぞっとする。
リオンはおもむろに手を伸ばして自分が枕にしていたジョカの太ももを撫でまわし、言った。
「男の足は固いな」
別に鍛えているわけでもないジョカの体であっても、男の太腿に女性のような柔らかさはない。
ジョカは、くすりと笑う。
「もう少し寝てるといい。寝心地の悪い枕で悪いが」
「――いや、そんなこともない」
リオンはしばらくもぞもぞと、置き心地のいい場所を探していたが、やがてそれも止まった。
頭を撫でる、優しい手。女性のように細くはないし、綺麗でもない、かといってごつくもない、いわば普通の男の手が、リオンの髪を撫でる。
「ジョカ……」
何の意味もなく、ぽつりと名を呼ぶ。
「うん」
答えは至近距離からやってきた。
手が、彼を撫でる。
「ジョカ……」
「うん」
うららかな春の日差しのようなこのひと時。
平和で、穏やかで、心から安堵できる。
この手は大丈夫。
リオンを決して傷つけない。
どんなものからも、彼を守ってくれるだろう。
「……誰かに膝枕をやってもらうのは、初めてだ……」
「そうなのか」
「寝ているあいだに、何されるかわからない……」
目蓋を下し、まどろむ少年の寝顔を見下ろして、ジョカはさもありなんと思った。
顔を縁取る黄金の髪。体にかかるぬくもりと重み。強烈な光を宿すアイスブルーの瞳が閉じられると、その顔の印象は一変する。落差が激しい分、よりいとけなく、幼く、可愛らしく見える。
お人形のように整った白皙の美貌が、無邪気に寝入っているところを見れば、多くの人間は邪心を起こすだろう。
毒殺にあれだけ気を使っていたリオンだ。
おまけに、自分で自分が美しいということを知っている。とても、他人の前で寝顔を披露する気にはなれなかったろう。
撫でられる手の感触に猫のようにうっとりと眼を閉じたまま、リオンが呟いた。
「母が……」
「んん?」
「亡くなる前、私に、膝枕をして、こんなふうに撫でてくれたんだ。いま、思いだした……」
「……」
黙って、ジョカはリオンを撫でた。
優しい眼差しに見守られ、優しい手にふれられているこの瞬間、リオンは間違いなく幸福を感じていた。
優しく、そっと、額に口づけられて、リオンは目を閉じる。
「もう少し寝ていろ。起きたら食事を用意してやるから」
リオンはしばし、向けられた好意を噛みしめた。
「……あなたは、ほんとうに……変わったな」
ジョカもそれには頷く。
「そうだな。……いや、ちがうな。俺は、変わっていない」
「なぜ? 前の、あなたなら……」
リオンが何をしようと、薄ら笑いとともに放置していただろう。
容易に想像できる。それで寝食を忘れたリオンが体を壊そうが、「自業自得だ、阿呆」で嘲笑して終わりにしたに違いない。
……リオンが為したことの結果を、ジョカは辛辣(しんらつ)に批評する。それはそれでリオンの成長の糧にはなったが、それだけで、こうして優しく止めたりはしなかっただろう。
「俺は、何も変わっちゃいないよ。俺自身、変わったと思ったけれど、変わったのは、お前への扱いだけだ。俺の本質、俺の核は、何も変わっていないんだよ。ただ、お前が俺の最愛の人間になったというそれだけだ」
「……」
「俺が優しくなったか? そうだろうな、お前にだけは。俺が、気遣いをみせるようになったか? そうだろうな、お前にとっては。
俺は、お前には誰よりも優しいよ。俺は、お前にだけは、いくらでも優しくなれる。どんなわがままも、どんな願いも、叶えてやる。お前のためを思って、こうして、お前のためになる行動を自ら進んでやる。ただし、お前にだけな。――それって、優しいっていうか?」
難しい問題を投げかけられて、リオンは返答に窮した。
ジョカは、外見はとても若い。
十五歳のリオンと、大差ない年に見える。
だが、それは外見だけだ。彼は三百五十年を生きた魔術師で、そして……リオンにだけ、優しい。
己ひとりにだけ与えられる優しさは、習慣性のある薬のようにリオンを酔わせる。
おまえだけだよ。
おまえだけ特別だよ。
おまえ以外はどうだっていいよ。
――こまった。
何が困ったと言って、優越感と独占欲を満たしてくれる心地よい台詞なのが困る。
リオンは、実は、自分でも自覚しているが、かなり、独占欲が強い人間だ。
なのに、ジョカに対して所有権を主張しないのは、主張する以前にジョカが「リオン以外はどーでもいい」という態度が露骨だからである。
独占欲は満ちたりていて、暴れる気配すらもない。誰からも特別な相手が自分だけを見て、大事にしてくれる。この優越感といったら。
「俺は、優しい人間になったんじゃない。お前にだけ、優しくなったんだ」
リオンはジョカの言葉を咀嚼し、考えてみた。そして、一つの答えを出す。
リオンは背をまわすように手を伸ばして、ジョカのおくれ毛を引いた。
「……そんなことはない。あなたは、優しい」
ジョカは笑った。子どもの駄々を、笑う大人の笑みだった。
「へえ?」
「誰に対しても優しくない人間より、たったひとりにでも、優しい人間の方が優しい。それに……あなたは、私の大事な人に対しても、配慮を見せてくれる」
「お前が、後で、泣くだろう?」
簡潔なことばが、ジョカの心理のすべてを言い尽していた。
「俺はお前しか大事じゃないけど、お前は、身近な人間が死んだら、泣くだろう?」
リオンは、瞑目して、小さくかぶりを振る。
「……それでも、助けてくれたことは、変わらない」
ジョカの性格からいって、リオンにとって大事な人間でなければ、一顧だにしなかったにちがいない。それは、間違いない。
それでも。
リオンは、至近距離でジョカの黒い瞳を見上げた。
どう言えば、わかってもらえるのか。
ジョカは、優しい。
大事にされているからそう感じているのではない。彼が幽閉されていた頃から、毒々しい言葉のつぶてを浴びていた頃から、薄々感じていたことだ。
ジョカは、優しい。本人は否定しているけれど、その心根はとても優しいのだ。
「……あなたは、優しいよ。あなたは、私のことを思いやってくれる。彼らが死んだら、私がどう思うか、想像して、そして、助けてくれた」
たとえば、それが、ジョカにとって不快な人間であっても。不快なことであっても。
「あなたは、自分の感情を押さえて、私のことを思いやってくれる。自分の事を二の次にして、私がどう思うかを想像して、労わってくれる。自分の感情をただ押し付けてよしとするのではなく、どうすることが私にとって快いか、幸せかを考えてくれる。人の気持ちを思い、何をすれば喜ぶか何をすれば悲しむか想像して、幸せになるように行動する、それができる人が優しいのでなくて何なんだ?」
じっと見つめると、ジョカは反駁を返さなかった。なので、リオンは、手を伸ばしてジョカの背を撫でる。
ジョカは、優しい。……多少根性はひねくれているが。
自分は優しくない、と主張するジョカの真意も、リオンは察しがついていた。彼は、優しい心など、捨ててしまいたいと思っているのだ。単なる悪鬼になりたいと、そう思っている部分がある。
……それは、彼が、いつかこの国を滅ぼしたときに、何の痛痒も憶えないように、だろう。
――殺してやりたい。滅ぼしてやりたい。自分に与えられた苦痛のすべてを返してやりたい。自分が苦しめられたぶん、相手も苦しめたい。
やられたから、やりかえしたい。
ジョカの中には、人として当たり前の感情が渦巻いている。
それを実行に移さないのは、一重にリオンと約束したからだ。
……そして、彼は、ただの口約束のそれを破れない。何故ならリオンは――彼に、幸福を与えているから。
今こうして膝枕をされているリオンが感じているのと同じものを同じように、ジョカもまた感じていることを、リオンは知っていた。
過去に目を向ければ、そこには憎悪が渦巻く。
けれど、手元に目をやれば、そこには愛する者との穏やかな暮らしがある。
……だから、ジョカは堪えてくれる。
身内にある衝動を、食いしばってくれる。
なら、リオンがすべきことは、この手元にある幸福を守ること……なのだが。
――どう考えても、甘えているよなあ。
ジョカが甘いのをいいことに、リオンはかなり、好き勝手していた。自覚はあるのだ。それが行動につながらないだけで。
「済まない、ジョカ……」
謝ると、ジョカはふっと笑った。
「いいよ。それが、お前の望みなんだから」
どこまでも、ジョカはリオンに甘かった。
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