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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 □

《誇りの在りよう》




 もう一度、王妃のところに使者を送り、先日のお礼として珍しい茶菓子などを持参して、お茶会に招かれた。
 ジョカに言われたことを念頭に、自分なりにそれとなく注意して見た。
 命令をうけて、侍女は嬉しそうに頷く。萎縮している様子は見えない。侍女の中には先日のアネットもいて、目が合うとにこりと笑った。とても嬉しそうに。
 そう、王妃にまつわる誤解の噂がとけて、リオンが王妃を訪ねてくれたことを、喜んでいるのだろう。
 使用人に、王妃は慕われているようだった。
 そして、弟も素直に母である王妃を慕っていた。兄である自分には人見知りしてあまり寄ってこなかったが、これがほとんど初めてまともに接するのだ。仕方ない。
 どうも、自分は、噂に惑わされて義母を誤解していたらしい、と、ジョカにその週の訪問で言った。
「ほう。王子はそういう結論を出したか」
 相変わらずジョカに淹れてもらった紅茶を飲みながらの雑談である。
 ジョカにそんな風に含みを持って言われ、リオンは不安になる。だが、リオンは、つたないながらも自分の目を信じることにした。
「ああ。それが、私の出した結論だ」
 ジョカは、その判断が間違っているとも、正しいとも、告げなかった。
 リオンも聞かなかった。
 間違っていると言われたとして、ジョカが嘘をついているのではない保証がどこにある? ジョカの言うことを盲目的に信じるのは、傀儡に等しい。あくまで、これは、自分が結論を出さなければならないことなのだ。
「なら、それはそれでよかろうさ。王は、人の言葉を聞くのと同じぐらい、聞かないことも大切だ。人の意見に振り回される王は、何も聞かない王より始末に悪い」
「そうだな」
 家臣は、当然ながら人だ。人は、自分に都合のいいことを言い、諫言してくる生き物だ。あれこれ全部聞いていれば、収拾がつかなくなる。
「そもそも、王室の内部で緊張があるのは、好ましいとはとても言えないしな」
 それはその通りだったのでリオンも頷く。
「ところで……茶菓子か何かはないだろうか?」
 今日は、剣術の稽古をした後、湯浴みをして来たので、リオンの髪は生乾きで、肌も透明感を増している。育ち盛りの胃袋は何か食べ物を求めていた。
「ん? ああ、王子は成長期だったな。何がいい?」
「そんなにいろいろあるのか? なら、木の実が入った焼き菓子はあるだろうか?」
「わかった」
 ジョカが、椅子に座ったまま、右手を上げる。―――その、掌の上に。
 焼き菓子が入った皿が現れた。リオンは目を剥く。
 ジョカが魔術的な力を持っているのではと気づいていたが、こうもはっきり示されたのは初めてだった。
「ほら、王子。食べるといい。毒は入ってないぞ」
 ジョカは二人の間のテーブルに平然と置いて言い、リオンは無言でその皿を見つめた。
「……これを、どこから?」
「王宮内のとあるところから」
「……前々から気になっていたんだが、使用人がいないならどうやって食事を調達しているのかと」
 どうやらお茶ぐらいは淹れられるようだが、厨房があるようには見えないし、不思議だったのだ。この傲岸な人間が料理をするところなど、想像もできない。
 ジョカは平然と首肯した。
「ああ、同じように調達している」
「……それは、泥棒と、言うんじゃ、ないか?」
「王子がそれを言うか?」
 嘲笑しながらジョカは言い、王子は戸惑って見返した。
「どういう意味だ?」
「今はわからないでいい。いずれ、嫌でもわかる。それより食べたらどうだ?」
 目の前の焼き菓子はできたてらしく、とてもいい匂いを振りまいている。
「王子が食べないのなら、俺が食べるだけだぞ」
 ジョカはさっさと一枚取り上げて、口の中に放り込む。
 迷いながらも空腹には勝てず、リオンも一枚つまみあげて口にした。
 ほくほくと温かい焼き菓子は、今まで食べたことのない美味しさだった。
「おいしい……」
「だろうなあ。王子はこんなもの食べたことないだろう。いつも毒味したものばかりで、こんな菓子などすぐに冷めてしまうからな」
 本当に、今まで食べたどんな焼き菓子より美味しかった。できたてというだけで、こうまで違うとは。一枚食べると次々に手が伸びてしまう。
 ジョカは何を思ったか、喉を鳴らして愉快そうに言った。
「くっくっくっ。王子、知っているか? この王宮では、あんまりたびたび料理が消えるから、使用人たちはそれに慣れているんだ。あいつらだって馬鹿じゃない。一度や二度ならいざ知らず、決して消えるはずのない場所で何度も何度も消えたら、そしてどれだけ探しても出てこなかったら、嫌でも「それ」に気づく。そしてその現象にこう名前をつけてるんだ。守護神さまへの貢ぎ物、と。いつも守護していただいている代わりに、こうして貢ぎ物を貰っていかれるんだと」
 リオンは顔を上げた。
 なんというべきか……当たりすぎていて、怖いぐらいだった。
「大衆は、誰に教えられずとも真実を言い当てる、実に賢いなあ王子。今じゃ、大きな行事の御馳走は、一人分多く作るようにしているぐらいだ」
 そういえば……ジョカのことを、何も知らない人々が「闇の守護」というのは、考えてみればおかしくないか?
 「闇の」守護。確かに、ジョカは闇色に包まれている。闇色の髪と瞳、闇色の衣服を身にまとう。だが、人はそれを知らないはずなのに、なぜ? ……長い時間の間に、ひそやかに、ジョカのことがほんの僅かでも漏れたのだろうか?
 それとも、大衆の無意識が、その鋭さで、察したのだろうか?
「ジョカは……どれぐらいの間、この国にいるのだ?」
「三百と二十年ほどだ」
 リオンは脳裏で年譜を紐解く。
「初代国王の頃からか」
 多くの国でそうであるように、ルイジアナ王国でも、初代国王は神格化され、神の一員であるとされ、素性は定かではない。なんせ、三百二十年前のことである。とうの昔に歴史の闇の中だ。
「そんなに昔から守護してくれているのか」
 ジョカは表情を消した。
 不思議に思ったのもつかの間、ジョカは笑みを浮かべる。
「そうだな。本当に長いな。飽き飽きするぐらいだ」
 軽さを装い、一言ですまされない感情の微粒子が混じった声音。
 リオンは、その言葉に顔をあげ、正面からジョカを見た。
 黒という神秘的な色を身にまとった青年の、一房だけ長い前髪につけられた銀の輪がゆらめいている。
 何か、心の琴線に触れる言葉だった。
 心のどこかで何かが無視してはいけないと囁いている。
 しかし、リオンが口を開く前に、ジョカが話を変えてしまった。
「味方がほしいのなら、王子にはできる方法があるぞ」
「なんだ? それは」
「色仕掛けだ」
 さらりと言われ、リオンは眉間にしわを作る。
「ジョカ……。私に、媚を売れというのか?」
 リオンの怒りなどどこ吹く風といなし、ジョカは平然と答えた。
「つまらぬ矜持だ。王子の最大の取り柄はその顔だ。上手く使うべきだな」
「それは弱者の発想だ。私には必要ない」
 硬質の表情で、リオンははねのけた。
「そうだな、王子は生まれながらの強者だ。王家の正嫡にして第一王子。身体的にも健康で、何一つとして不自由ない。だが、強者には必要ないという発想が、実に愚かだ」
「そんな無様ができるものかっ!」
 リオンのプライドは高い。その上、生まれおちてこの方、父親以外に頭を下げたこともない貴種の生まれで、更にはまだ十二の潔癖な少年だった。
 リオンの反応は当然のものだったがジョカは鼻で笑う。
「もう一度言うぞ。つまらぬ矜持だ。使える武器があるのに使わない、それを愚かと言わずして何という? その顔は、俺にさえ効果がある素晴らしい武器だというのに、王子はただ持てあまし腐らせるだけ。場末の娼婦の方が、己の武器の研鑽に余念がない分、心映えでは遥かに勝るぞ」
 娼婦などと比べられ、あまつさえ劣ると評価されてリオンの頬に朱がのぼる。
 全身を巡る血の流れが熱い。屈辱に、血の温度さえも熱かった。
 その屈辱を瞳に込め、睨み据えて、リオンは言葉を絞り出す。
「……この顔は母から譲り受けたものだ」
「知っている。それが?」
「私が勝ちえたものではない」
「だから何だ? それは王子の顔だろうに。ならば王子のその生まれと人よりよくできた頭と健康な体は、王子が自分の努力で勝ちえたものか?」
「…………」
「己の武器の使い方も知らぬ小鳥は、カエルの顔をしたヘビにぱくりと一飲みにされて終わるだけ。それを媚というのは、可愛い愚か者だな」
 これを、ジョカは屈託のない笑顔で言ってのけた。
 リオンの視線が動揺を反映してさまよう。
「し、しかし……好きでもない相手に、言い寄ったり、するのだろう?」
 自分が色仕掛けをするなど考えたこともなかったので、色仕掛けというとその程度の印象しかない。
「まさか、だ。まあそういうことが必要なときもあるだろうが、王子の場合は必要ない。いつもつんとしているだけでなく、時々笑いかけ、たまに優しい言葉をかけてやるだけで事足りる。見た目がいいというのは実に得なものだ。それで、男も女も王子に惚れる」
「……女性はともかく、男もか?」
「惚れるとも。気遣いのある主君として慕うようになる」
 ジョカのいう色仕掛け、なるものの内容を聞いて、やっとリオンの体から強張りがとれた。
 自分で自分の頬に触れる。
「……私は、美しいといわれることが、あまり好きではない」
 その頭脳や才知を褒められて嬉しいとは思っても、容姿を褒められることにさほどの喜びはなかった。
「感じることはどうにもならんさ。ただ、考え方は変えた方がいいな。美しいというのは、この俺にさえ通じる武器なのだから」
 初対面の時から、ジョカはリオンの顔が気に入ったと再三言っていた。
 リオンは思い出し、くっと目をそらす。
 色仕掛けと聞いて反射的に拒絶したが、ジョカが言うのはこういうことだ。
 自分の顔が美しいといわれるものであることを理解し、意識し、笑顔を心掛けろ。そうすれば人はついてくる。
 それぐらいなら……理解できる。した方がいいだろうと、頭で考えて判断することもできた。
「……努力してみよう」
「匙加減を上手くすることだ。あまり気さくにするのもよくない。人は簡単に勘違いするからな。畏怖と、親しみやすさは同居しない。王家の人間としてのけじめをつけ、恐れられつつも慕われるよう、頑張ることだ」
「……やってみる」
 なんとかその言葉を言うと、ジョカはテーブルに頬杖をつき、つまらなそうに言った。
「生まれながらの正嫡にして第一王子。王子の誇りはどこにある?」
「……なに?」
「金と引き替えに体をまかせるのは醜いか? 無様か? それと比べられるのは侮辱か? そうさな、多くの人間がそう考えているだろう。だが、時として娼婦はこの世でいちばん誇り高い」
 リオンは眉を寄せた。
 知識として、そういう職業があることは無論知っているが、会ったことなどない。高貴な身分の者が身分を隠して歓楽街に出向くことはままあるが、リオンには、まだ早かった。
「金銭を代価に自分の体を好きにさせる人間が気高いと?」
 リオンには理解しがたいことだった。
 リオンは命がかかろうと、同じ道を選ぼうとは思わない。喉を掻っ切って死ぬ方が、遥かにましだ。生活のためというのは頭では理解できても、汚らわしいという思いの方が強く、リオンの立場では実感がわかないのは無理もなかった。
 ジョカはつまらなそうな顔でリオンを見て言う。
「誇りの在りようは人それぞれだ。今の王子にはまだ理解しがたいだろうよ。だが、幼子のため進んで身を売り苦界に身を落とす女は、王子より遥かに気高い」
 胸を突かれ、リオンは黙り込んだ。
 飢えた、己よりも愛しいもののために身を売り、客に媚をふりまく女はいやしい人間かと、正面からつきつけられて、リオンは言葉を失ったのだ。
「そもそも王子は飢えを知らぬだろう。そしてこれからも知ることはない。掃除も洗濯も、これまで一度たりともしていない綺麗な手だ。生活のための苦労を知らぬ者が、生活のためごときに体を売るなんてと口にするのは、実に滑稽きわまりないな」
 ジョカの顔には、明らかな嘲笑が浮かんでいる。
 リオンは何も言い返せず、すくんでいた。
「誇りは、自らの中で譲れないものの思いの強さだ。子どもが苦労することを譲れない者、生きていくことを譲れない者、それぞれ実に誇り高く、それ以外の苦労を引き受ける。王子にとって、譲れないもの、それを守るために何を差し出してもいいと思えるものは何だ?」
 ジョカは目を上げてリオンを見た。心の奥底まで、土足できりこむような眼だった。
「……わ、私は……」
 ジョカは何も言わず、十数秒が経過したが、リオンは何も自分の中に見つけることができなかった。
 世継ぎの王子であること? 王子であること?
 わからない。どれも、譲れないものではないような気がする。
「ま、見つける必要性は、さしてない。人生すべてを使っても、見つからない者もたくさんいる。ただし、自分の選択肢にないからと人を見下せば、人間の幅を狭くするぞ」

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Date:2015/10/23
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