女性に変化している三日間を、リオンはほとんど寝台の中で過ごした。
ジョカが離してくれなかったのである。
綺麗好きのジョカはリオンを風呂に入れて、甲斐甲斐しく洗ってくれたようだが夢うつつでほとんど記憶にない。
そこまではまあ良いとしよう。良くないが。
しかしそれからがいただけなかった。
もうすぐ薬が切れるという三日目。
ジョカが寝台の上でうとうとと眠っているリオンを起こして服を突きつけたのである。
「リオン、これ着て!」
リオンは目を擦りながら寝ぼけ眼まなこを持ちあげ、それをみた。
女性用のドレスだった。
眠気が消し飛んだ。
「――――」
リオンは無言でジョカを見た。
ジョカは思わず一歩下がった。
ドレスは王宮からかっぱらったものだろう。実に品が良い。
色は青を基調としたもので、随所に服飾の宝石といえるレースが縫い付けられている。スカートの部分は薄い青の紗を幾重にも重ね、青の濃淡で前身ごろが濃い青、後ろは青みがかった白。更に光の加減で浮かびあがる藍の糸で、びっしりと精緻な刺繍がされていた。図案は花弁に似た、三角を重ねたものだ。
リオンの見事な金の髪には、白系よりもこうした暗色系の色が合う。いっそ黒が一番映えるのだが、黒は喪の色である。
「ジョカ?」
名前を呼んだだけなのに怖い。背筋が寒くなる鬼気満載である。
さらに一歩、ジョカは下がった。
「あなたは、人の体を弄んだだけでは飽き足らず、私にこれを着ろ、と?」
「い、いやそのお前を愚弄するつもりはなくて! お前があんまり綺麗だから一度着飾らせてみたいなって、ほんとそれだけで!」
リオンは右の口角を下げ、微笑んだ。
極上の美女の極上の笑みだというのにも関わらず、ジョカは尻尾を巻いて逃げ出したくなった。
リオンは無言でドレスを掴むと、脇の下のもろい部分を見定め、的確に力を込めて――一気に破り捨てた。
ジョカの口の中で「ぎゃあ」という悲鳴がした。
およそ庶民の年収の五年分はしようというドレスは、一瞬のうちに布切れに変貌した。
「誰が女の格好なんかするか!」
「だだだだって! 一度着飾ったところを見てみたい!」
リオンはジョカに目を当てた。
ジョカはぴたりと口を閉ざす。冷や汗が額にぽつぽつと浮かんだ。
リオンの口元は笑いの形のままだが、それが逆に怖すぎた。
「なあ、ジョカ? あなたは、私に、女物の下着を着て、女物のドレスを身にまとい、女物の靴を履いて、化粧をしろというんだな?」
「――ごめんなさいすみません俺が短慮で考え無しでした二度と言いませんので許して下さい」
一瞬で勝敗は決した。
ジョカは寝台に頭を擦りつけて謝った。
ああいうしっかりしたドレスを着るときには、中身の方も矯正下着(つまりコルセット)を着て締め上げることが前提である。
それなしで着たら、さぞ愉快なことになるだろう。入らないので無理に着ようとして破れる、あたりが順当な所か。
そして、ドレスを着て足元が裸足というのは不格好にすぎるからして、長靴下に靴下留めにヒールの高い靴も必須だろう。
いや、それ以前に――。
「女物のドレスなんて着るぐらいなら、何も着ないほうがまだましだ」
「いやあのその」
「なあ、ジョカ?」
リオンは腕組みをし、首を横に傾けて微笑んだ。
絶世の美女の微笑である。
美しいことは太鼓判を押せるし、ほとんど全裸で腰のあたりに毛布がわだかまっているだけなので男として目に楽しい事も間違いないはずなのに、ジョカは脱兎の勢いで逃げ出したくなった。
「女の体になって、あなたに抱かれて。私はずいぶん、あなたに譲歩していると思うんだが、あなたはそれでは飽き足らず、更に私をおとしめたいのかな?」
おとしめる。
リオンの本気の怒りを感じ取って、ジョカはますます体を小さくした。
「…………ご、ごめんなさい……」
リオンの美女ぶりといったら誇張なしに傾城傾国と言えるもので、着飾っているところを見たい、というジョカの願いは心情的に判りやすく、ある意味当然な願いであったが、女物のドレスや下着を身にまとうことへのリオンの反撥は苛烈だった。
ジョカはうっかりしていたが、リオンは筋金入りの男尊女卑主義者なのである。
ジョカなら同じ状況で開き直り、いっそ女装を楽しんでみせるだろうが、リオンにとってのそれは、プライドを激しく傷つけることに他ならない。
なのに魔法薬はあっさり飲んだのは、未知すぎて想像の範疇外だったからだ。
男が女装する、ということは現実のものとして想像できても、自分が女性になることを現実味を持って想像できる男はいない。リオン自身、好奇心もあった。何より――ジョカに押し切られたためである。
リオンは土下座するジョカの姿に、怒りをおさめた。そこで追求をおしまいにすると、毛布をかぶって中断していた眠りに戻ることにしたのだ。
数秒して、ジョカが恐る恐る頭を上げると、そこにはすやすやと寝息を立てる最愛の人間の姿があった。
どっとほっとしてしまったジョカである。
怖かった。おっかなかった。
あそこまで激怒しているリオンを見たのは初めてだった。
記憶の頁をめくってみても、リオンが本気で・・・、怒った所は見たことがない。幼い頃のリオンは良く怒ったが、ハリネズミがちょっかいを出されて怒ってみせるような、威嚇の怒りに近かった。
けれど今は、間違いなく本気で怒っていた。
ジョカはそっと寝顔をのぞきこみ、リオンの顔にかかる髪を払うと、ため息をついた。
――女装ぐらい、と思ってしまうのは、ジョカとリオンの価値観が違うせいだろう。
人によって、価値観は違う。
それぐらいいいじゃないか、とジョカなら思うが、リオンにとっては譲れない一線なのだ。
そして、この時代の一般常識ではリオンの方が多数派で、それはつまり「正しい」ということだった。多数を占めるものが「正しい」とされるのが正誤の認識なのだから。
かつて、差別されていた民族に手を差し伸べて平等に扱った王が、「異常者」呼ばわりされて断罪され処刑されたように。
男尊女卑が激しいこの世界では、女性が男装するのはれっきとした「罪」である。
逆は特に罪科が定められていないが、定められていないだけで世間的に許されていることでは、決してない。それほど性別詐称に激しい世界なのである。
それは知っていたのに、安易に女装をすることを勧めたジョカが悪い。
リオンの激しい反発は異常なことでもおかしいことでもなく、この世界の常識からいって当然の反応だった。
――配慮しなかったジョカが、どう考えても悪い。
男女の間に険しい壁のある時代なのだから。
ああまで嫌がっているのをやらせるのはさすがに気が咎める。その上リオンに嫌われてしまう。
強権を持って強引に押し付ければ、リオンも最後には折れるだろう。だが、確実に、嫌われるだろう。
そしてリオンに嫌われたら、ジョカは生きる気力を失う。リオンが死ぬことに次ぐ恐怖だった。
リオンがあの見事な金の髪を伸ばし、丁寧に整えて艶を出し、深青のドレスを身にまとった姿は万人が見惚れる美しさだろう。
とてもとても見たいのだけれど、諦めるしかなかった。
もう二度とリオンは女性になってくれないにちがいない。
最初で最後の機会だが――、ジョカは泣く泣く脳裏の予想図に別れを告げた。
昔、女性が男装すると罪になりました。
ユダヤ人を積極的に登用し活用したことで、既得権益層の反発をかい、殺された王様がいました。
現代に近い感覚のジョカにとっては「たかが女装」ですが、リオン含むこの時代の人にとっては違います。
ジョカの女性化バージョン(後日アップします)を見てもおわかりの通り、男女同権のジョカにとっては性別の壁は大した高さではなく、お遊び気分で気軽に女装できますが、男尊女卑のリオンにとってはとびきり高い壁です。
私としても女装させたかったのですが!
お約束だろうと説教もしたのですが! リオンの頑強な抵抗にあい、水の泡になりました。
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