目的地は、迷宮を越えたところにある生息地。そこへたどり着き、ゲートを設置すること。行けるのは少女ひとりだけだ。
ゲートの前で、魔王は少女に語りかける。
「緊急帰還用の品も持ったな?」
「ええ」
「前の三人も同じ品を持っていた。だから、あてになるとは言えないが……、だが、気休めにはなるだろう」
そこで言葉を区切り、魔王は、深い目の色で少女を見た。
「取りやめる最後のチャンスだ。このゲートをくぐった先に何があるのか、俺様も知らん」
少女は黙って首を振った。
「……そうか。なら、行け」
魔王城奥深くにあるゲートから、少女は旅立った。
◆ ◆ ◆
転移が終わり、少女は素早く身構えて周囲に目をやる。
……どうやら危険はなさそうだと判断して、構えを解いた。
少女の目の前には一直線に伸びる壁があり、後ろを振り返れば、並行して伸びるもう一枚の壁があった。
右を向いても、延々と壁が続く光景。
左を向いても、延々と壁が続く光景。
どうやら、長い一本道の途中に、ぽとんと落ちたようだ。
「どっちいけばいいと思う、コリュウ……」
はっとする。
……冒険者になる以前から、自分を慕って、いつも肩の上に陣取っていた小さな竜は今いない。
あのひんやりとした手触りの鱗には、しばらく触れられない。
―――急に、寂しさが胸に募った。
「……よし! 決めた。ひだり!」
それを振り払い、少女は向かって左の道を歩き始める。
地面は、この手のダンジョンの中では非常に珍しい事に、綺麗だった。
石板をしきつめた床なのだが、石ころひとつ、落ちていない。
整然として、無機質で、明るい空間だった。
そう。―――明るい。
魔法で明かりを灯してある迷宮は珍しくない。だが、ここまで隅々までくっきりと明るい空間は珍しい。廊下に落ちる影は、彼女一人のものだけだった。
美しく整然と整えられて、命の気配のしない空間。
魔物らしきものの気配はない。それが不気味だった。
ここが、危険じゃないはずがないのだから。
長く伸びる廊下を、ただ歩いていると、つい今しがた言われた言葉が蘇ってきた。
―――いつまで冒険者をつづける?
―――おまえのしていることは、神の所業だ。
振り払っても振り払っても、その声が振り払えない。
珍しいことだった。
気持ちの切り替え方は、わきまえている。少しの迷いが命取りになるのが戦場で、そして、彼女のくぐってきた修羅場の数は群を抜いている。
振り払えないのは、……心の真実を掬い取られたから?
「……会ったばかりの人なのに、ね……」
少女が冒険者になったのは、コリュウが肩にいたことと、単純に暮らしに困ったからだった。
コリュウは見てわかるように竜族で、そして、彼女は希少な竜使いとして、冒険者ギルドに登録した。
剣士などではない、希少にも程がある「竜使い」である。普段は試験をするギルドは諸手をあげて彼女の登録を受け入れ、彼女の名は、実績のない空虚な名前は、ギルド中に広がった。
それに最も戸惑ったのは、当の本人だ。
駆けだしで、右も左もわからないのに、屈強な冒険者扱い。
あたふたしているうちに初仕事は終わり、コリュウのおかげで完勝した。
だが、それによって膨れ上がった名声に、少女は苦しんだ。
買い被りにも程がある。
コリュウは竜族で、竜族は幼生でも圧倒的に強い。そのファイアーブレスの一撃で、ほとんどの敵は屍となった。
「竜使い」なのだから、竜の実力は少女の実力。そう言った人も少なからずいたが、少女にとって、やはり、コリュウに頼りきりの現状はつらいものだった。
だから、少女は一心不乱に剣を握った。
剣士としての実力は、じりじりと上がって行った。
そんな折、「彼」に出会った。
少女と同じく故郷の村の生き残り。
死んでしまったと思っていた、顔見知り。
彼は驚きに顔をひきつらせ、その後、憎しみを込めて罵った。
お前なら、もっとたくさんの人間を救えたはずだ。どうしてお前は自分一人逃げだしてのうのうと生きている。
彼は、有り体に言って、八つ当たりをしたのだろう。彼が、生活に困っている様子だったのに比べ、少女は冒険者として、そこそこ豊かな生活だったから。
―――おまえのしていることは、神の所業だ。
自分がしている事が、荒野にただ水をまくにも似た行為であることぐらい、理解していた。
世のすべての人を救えるはずがないし、人の悪意にはきりがない。たまに、それによって救われる人がいても、それは微々たるものだ。
思い上がりを指摘する、魔王の声が、どうしても脳裏から去らない。
ああその通り。人の善意には限りがあって、人の悪意に限りはない。
誰かを助けたいと思う事こそ、思い上がりなのだ。
……でも。
ああ、でも。
少女は蘇りかけた記憶を何とか再度封印し、足を止めた。
手を目頭にあて、目をつむる。
……おかしい。
心拍が乱れている。戦ってもいないのに、嫌な過去や、心の襞と会話して。
道はどこまでも一本道だった。曲がり角は時々あるが、分岐はない。敵の気配さえもない。
単調な道で、足を、頭とは切り離しておける。
そのせいか、妙にいろいろなものを思い出す……。
魔王は何かロマンティックな理由を勝手に思い浮かべているのですが、少女が冒険者になった理由は、平たく言えば「生活のため」という、それだけだったりします。
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