少女はキッと顔を引き締めると、魔王から貰った緊急帰還用のアイテムを取りだした。
迷宮から脱出できる、使い捨ての高価なものだ。これ一つで大人の平均月給以上だが、命には代えられないと多くの冒険者が愛用している。
「送……ッ!」
威力解放の呪言をいいかけたところで、少女は飛び退った。手からアイテムが落ちる。
少女がいた空間を、魔法が貫く。
少女は抜剣した。
「これが、経験値の差でしょうかねー」
そんなのんびりとした声とともに、空間のひずみから現れたのは、顔見知りの青年だった。
「―――あなたは」
「こんにちは」
どこか、道化た仕草でぺこりと頭を下げる。
それは、あの魔王の侍従の青年だった。
研ぎ澄まされた刃を思わせる美貌は、今は締りのない笑顔にぼやけていた。
「さすがですね。普通は、心が揺らいでも外的要因がないから使うまでもない、と考える。だが、あなたは迷わず帰ろうとした。素晴らしい!」
少女はすっと目を細める。相手の戯言にとりあわず、単刀直入に尋ねた。
「……あなたなの? 通行印を奪ったのは」
青年は目を見張った後、頷いた。
「ええ、そうですよ」
この迷宮は、乙女しか入れない。なのにいる以上、制約を無効化するものを持っているとしか思えない。
前魔王の息子である彼なら、父が保存しておいた物品に接触するのもたやすいだろう。前魔王は、通行印を継承し忘れたのではない。用意しておいたものを、息子が隠匿したのだ。
「どうして……っ!」
「どうして? だって、その方が楽しいじゃないですか」
少女の顔が引き締まり、唇は引き結ばれた。
これ以上、対話するだけ無駄と悟ったのだ。
そんな彼女を、青年はくつくつと笑う。
「おお怖い。そして、なんて美味しそうだ。あなたに手を付けずにいた魔王はたいそうな自制心ですよ。こうしていても、溢れ出る力によだれが出そうだ!」
少女は答えない。
敵に、会話など無用。
だが、聞かなければならない事があった。
「―――以前ここへ来た三人の女性も、あなたが……?」
「彼女たちは魔族。人食いは高貴な趣味ですが、同胞は食べませんよ。楽しませては頂きましたけど、ね」
怜悧な美貌に、卑しい微笑が、こうまで不快なものだと初めて知った。
少女はこみ上げる不快感を、何とか後回しにすることに成功する。怒りも、憎悪も、戦いには不要だ。
平常心。
常に冷静に自分をキープすることが、戦時では最も肝要だった。
人間の世界で、魔族が忌避される理由。
それが、人食いだ。
食事として人肉を摂取するのではない。
魔族は、強い人間を食べることで、その能力のいくらかを吸収できる。
今ではもう、野蛮ということで禁止されているが、魔族の貴族社会の闇ではなおもつづけられている事を少女は知っていた。
「あなた、神はいる?」
「え……?」
怪訝な顔をする。
「大抵の魔族と同じく、私も祈る神は持ちませんよ」
「そう。―――じゃ、地獄で彼女らに詫び続けなさいっ!」
およそ五歩の距離を一瞬で詰めて彼女はその胴体を両断した。
「……え?」
広がる、血だまり。
その血は、人や魔族の赤ではなく……。
りゅうぞくの、あお。
少女は叫ぶ。彼女の、心の支えを。
二つに両断されて横たわる、愛しい者を。
「コリュウ!」
◆ ◆ ◆
前魔王の息子は、それを笑みとともに見つめた。
これが、幻覚だという事に気づいた時にはもう遅い。
最愛の者の死を見せつけられて、少しも動揺せずにいられる者などいるものか。
その動揺に、幻術はするりと入り込んだ。
今、この少女は自らの心の闇を思うさま満喫しているはずだった。
このまま心臓を一突きにしてしまうのが一番手っ取り早いが……興味があった。
人助けを趣味とし、善行を繰り返し行う少女の心の闇は、果たしてどれほどのものだろう。
「勇者」の心の闇。
滅多に見られない出し物だ。
目を背けるほど醜悪な怪物がそこに潜んでいるのか、それとも聖人然とした態度にふさわしいものか。
見てみたいという好奇心に逆らえず、彼は、少女に手を伸ばした。
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