幻覚だ!
そう叫ぶ心の声もむなしく、少女は断崖を滑り落ちた。
コリュウの死に動揺する一瞬に、突き落とされたのだ。
魔法の深みにあるのは、最も出会いたくない記憶と、その奥の、目を背けていた、真実。
これは幻だ!
それは判っているのに、抜け出せない。
逃げても、逃げても、追ってくる。
……それは、故郷の村が滅んで、半年ほどした日のこと。
竜使いとして名を上げていた彼女は、ある日、一人の男と出会った。
同じ村で、名前を知っているはずの彼の名は、思い出せない。
彼女の村は、大型の魔獣に襲われ、滅んだ。だが、全員が死んだなんて事は「ありえない」。
それぞれてんでばらばらに逃げ去って、何人生きているかは判らないが、数名の生存者はいる筈だった。
他の村人が襲われている最中、がむしゃらに逃げだした人間たちが。
―――その竜がいれば、みんなを救えたんじゃないか?
彼は、冒険者として生活している少女を見て、そう言った。
胸に突き刺さったのは、それが、根も葉もない言いがかりだったからではない。
事実だったからだ。
コリュウはあの魔獣には勝てないだろう。けれども、他のみんなが逃げる間を稼ぐぐらいはできただろう。
村は滅びずに済んだかもしれない。
半壊程度で済み、彼女は今頃、村人として村の復興の手伝いをしながら、生活できていたかもしれない。
―――彼女が、怯えなければ!
そう、あの日、彼女もまた、他の村人を見捨てて逃げ出した一人だった。
恐怖に駆られ、無我夢中で逃げた。
コリュウは、それを助けてくれた。コリュウは短い距離なら少女を捕まえて空を飛べる。
だが、逃げなければ、多くの人を救えたはずなのだ。彼女さえ、冷静に、他のみんなを救おうとしていれば!
怖かった。助かりたかった。怖くて怖くて、それ以外の事を考えられなかった。
今の彼女なら、恐怖をおさえて敵に立ち向かう術すべを知っている。でもそれはその時の彼女には……できなかったのだ。
鬱屈する彼女は、それでも冒険者として仕事をこなした。
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます!」
心に、光が当たったように感じた。
手を握られ、涙ながらに何度も何度も口にされる感謝の言葉。それは、少女の奥底を暖め癒した。
仲間を見捨てて逃げ出した卑怯者、どす黒い心の少女を。
感謝されたかった。
ありがとうと言われたかった。
その言葉を得ることで、少女は、魂が震え浄化されていくのを感じた。
村を見殺しにして逃げた自分。
両親も友達も誰一人として救わなかった自分。
故郷、両親、全てを滅ぼした、自分。
唾棄すべき最低の人間である自分に、ありがとうという言葉と気持ちをくれるひとがいる。
彼女はその言葉を欲した。
砂漠で水を求める旅人のように、無我夢中でそれを得ようとした。
―――だから、彼女は、人助けを趣味とするようになった。
高尚でも、なんでもなかった。どこまでも、自分のためだった。
「―――最低な人ですね」
どこからか響く涼やかな声が、彼女の罪を糾弾する。
やめて。
「これほど身勝手な理由も珍しい」
やめて。
「これほど薄汚い動機も珍しい。そんなことに、あなたは自分の仲間を巻き込んで、自己満足の戦いをしていたわけですね」
やめて――――――――――――ッ!
魔法の檻に囚われた少女には、脱出の方法がない。死ぬまで、死よりも過酷な心の痛みが彼女を苛むのだ。
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