リオンが十三歳になったある日、父から、部屋によるようにという連絡があった。
父は平服で、リオンに笑顔を見せる。
「ああ、よく来た。それで、あのお方とはどんな具合だ?」
ジョカとは、週に一度、平均して一時間ほど雑談している。
「最初は嫌だったんですが……さすがに、見識が人とは違うので、とても話していてためになります」
腹が立つことも多いが。
「いろいろとご忠告もしてくださって」
人の神経を逆撫でする言い方をわざわざ選ぶが。
「全く経験しなかった新しい見方を教えてくださいます」
斬り殺してやろうかと思うことも実はあったりするが。
リオンはにっこりと笑う。
ジョカの影響で身に付いた技の一つだ。
使ってみると効果は抜群で、みんな恐ろしいほどうろたえる。
さすがに父は息子の笑顔に目を細めただけだった。
「そうか。仲良くしてくださっているのだな」
「はい。ありがたくも」
「お前もすでに気づいていると思うが、あの方はこの国の柱である方。くれぐれも粗相のないようにするのだぞ」
「はい」
気づいていなければ、とうの昔に臨界点突破した怒りのままに殴りかかっておりましたとも。
リオンは内心をおくびにも出さず、笑顔で頷いた。
父のもとを辞去し、そのままジョカのところへ向かう。
ジョカのところへ週一回行くのは気が重かったり、心待ちにしたり、逃げ出したくなったりと日によってバラバラだ。
共通しているのは、どうあっても行かなければならないところだ、ということだった。
今日の気分はそれほど嫌ではない。
ジョカのあの嫌味というか、人の弱みや欠点をぐさぐさと抉る口調にも、慣れてきた。
それに、見識の深さにおいては勝る者はいないだろう彼の言葉は、かなり参考になることも、確かだ。
あれでもう少し、言葉の棘をなくしてくれればと思うのだが……リオンは自分に丁重かつ丁寧にふるまうジョカを思い描こうとしてできず、断念した。
黒光りする扉を開くと、相変わらず室内は暗い。
「ジョカ? 私だ、リオンだ」
中に入り、声をかけ―――普段なら、この時点で返答が返るはずなのだが、なかった。
いつもどおり、明かりはテーブルの上の小さなランプだけ。
そのランプを取り上げ、リオンは奥に進む。
この部屋は衝立がかなりあるので、しばしば来ているにもかかわらず、奥の方は様子が知れず、行ってみたこともない。
よく寝ている長椅子に姿はなく、右手の上部に見えている天蓋の方へ行く。
思った通り、天蓋付きの寝台があった。リオンが使っているものにも劣らぬ、最高級品である。……泥棒したのでないといいのだが。
そこで、ジョカは眠っていた。
思わず来る日にちを間違えたかと思ったが、合っている。
眠るジョカはあの小憎らしい口をきく人間とも思えない安らいだ表情で、寝息を立てていた。
実のところ人間かどうかも疑っていた人物の、無防備な姿だった。
起こそうかとも思ったが―――こんな機会、滅多にない。勿体ないので寝顔をとくと鑑賞することにする。
一房だけ長い前髪に付けられた銀の輪は、寝ているときもそのままで、右耳の横にあった。
ジョカの外見はとても若い。二十代前半か、十代後半だ。背は高いが、体つきは細く引き締まり、しょっちゅう長椅子で寝転がっている。しなやかな怠惰は、猫のようだ。
……三百二十年前から、この地にいるといった。
もちろん、嘘の可能性もあるが……、嘘を言っているとは思えない。ジョカは、この外見で、そんな長い時間を旅してきたのだ。
「ん……、……ふあーあ」
その時ジョカが小さな声をあげ、両手を伸ばして起き上がった。
リオンが来ていることにはとうの昔に気づいていたらしく(狸寝入り、と人は言う)、隣を見て唇をつりあげて言った。
「あーあ。つまらんな。眠り姫はキスで起こすものだぞ」
「だれが姫だ」
「もちろん、王子だとも。あともう一年もすれば無理だろうが、今はまだドレスを着たら絶世の美女になること間違いなしだ」
「五年後、ドレスを着てやろう。肩幅があって背の高すぎる不気味な女として」
粗相がないよう、どころではない。ジョカに丁重に接したらこっちの神経がもたない。
こうしてぽんぽんと言葉を言い合うのは、他の相手とはできない新鮮な経験だった。
ジョカは寝台の上で体を起こしたまま、目を細めてリオンを見た。
そのまま数秒して、見つめられることに居心地が悪くなってきたころ、声が聞こえた。
「……五年後か。王子は背が高くなるな。かなりの長身だ。剣術をやっているせいか、ひょろ長いんじゃなく、筋肉もついている。肩幅もある。見るからに筋骨隆々という風ではないが、細身でありながら弱々しく見えない。髪は少し伸びて、鎖骨につく程度になっている。見事な王子様ぶりだ」
「……え? まさか未来を」
「少し覗いた。まあ現時点での一番可能性が高い未来だが。女なら誰もがため息をついてうっとり見惚れるような美青年になるぞ」
ジョカは悠然と笑って言う。
「五年後にドレスか。それはいいな。王子なら、なかなかの迫力美人に化けること間違いなしだ」
失言を悔いたが、もう仕方がない。リオンは溜息をついて言う。
「一度だけならな。そもそも私に着れるドレスがあればの話だが。貴婦人の腰の細さは化け物じみている」
「あれをどうやって着るのか知っているか? 複数の侍女がよってたかって力技で締め上げるんだ。いやはや、女性の美に関する熱意は凄まじいな」
「つつしんで、遠慮する。……眠いのか? 昨日寝れていないのか?」
「昼も夜も、俺には関係ないものさ」
ジョカは立ち上がると、すたすたといつものテーブルの方へ歩いて行く。
リオンがその後を追うと、さっと光が広がった。ジョカはお茶を淹れるため、いつもの衝立の裏へ回る。
「……私が淹れようか?」
そう聞いたのは、今更だが父の言葉が脳裏にあるからかもしれない。毎回、お茶をごちそうになるばかりでは。
「結構だ。王子がへっぴり腰で淹れたものなぞ、飲めたもんじゃない。大体、自分で淹れたことがあるのか?」
「……ない」
「気にすることはない。俺は結構、人に茶を淹れるのが好きなたちだ」
やがて衝立の向こうから、ジョカが紅茶と焼き菓子の乗った盆を持って現れた。
初めて茶菓子を出してもらった時から、ジョカは必ず茶菓子を添えてくれるようになった。
王宮の菓子職人にも都合はあり、同じ種類のものではなく、種類はさまざまだったが、どれもできたてのそれは食べたことがない風味と味でとても美味だった。
はっきり言えば泥棒なのだが、リオンはすでに「お供え物」と割り切って気にしないようになっている。
それに、ジョカは食事プラスお菓子ぐらい請求してもなんらおかしくない立場である。
二人してテーブルに着き、紅茶を一口飲んだところで、リオンは切り出した。
「……人の未来の姿が見えるのか?」
「見ようと思えばな。最大公約数的な、一番可能性の高い未来だが。お前がこれから暴飲暴食してぶくぶくに太ればああはならん」
リオンは顔をしかめた。
見苦しいものがリオンは嫌いだ。その見苦しいものに自分がなるなど、反吐が出る。
そして、寂しさも感じた。
簡単に、人の未来を透かし見る。
ジョカは、やはり、普通の人間とは違うのだ。いかにただ人の様に見えていても、こうして言葉をかわしていても。
「……ん? 未来を口にすることはできないと以前言ってなかったか?」
半年以上も前、出会ったばかりのころのことだが。
ジョカは本気で感心した様子で、「記憶力がいいな」とつぶやき、言った。
「それは人の運命だ。一つの場合をのぞいて口にしないが、外見がどうこう程度は関係ない。変わりやすいのが外見だからな」
「一つの場合とは何だ?」
ジョカはにたりと笑う。
答えてくれないかと思ったが、教えてくれた。
「王に命ぜられた場合だ」
「父に?」
「お前の親父とは限らないな。ルイジアナ国王に、という意味だ。王子が王になれば、お前の命令に俺は従う」
「私が王になったら私に従うと?」
「そうだ」
その淡々とした断定が、心にしみこんで……リオンは形いい眉を跳ねあげた。
「……その割に、ジョカの私への態度はあんまりというものだと思うが?」
ジョカはゆったりとくつろいだ風のまま言う。その様は、話に聞く黒豹のようだ。
「何言ってる。俺が王子のためにならんことを言ったか?」
ぐっと詰まった。
非常に言葉に容赦がなくて、棘だらけで、肺腑をえぐるようなものであるが、確かに、ジョカの言葉はリオンの
蒙をひらいた。
「王子には、降るように縁談が舞い込んでいるだろう。気に入ったのはあったか? 美姫がよりどりみどりだ。まあ王子以上に美しい女は皆無だと思うが」
「……縁談は、父はあまり気乗りしないらしい。私もさほど、興味を持てないから丁度いい」
ジョカの言うことを参考に、味方を得るように動いてみたら、友人ができた。剣術の教師の息子で、リオンより腕は上だ。
その友人と一緒に剣を振ったりしている方が、楽しい。まだそういう年ごろだった。
それを語ると、ジョカは目を細めた。
「……一つ、言っておく。聞くかどうかは知らんがな」
「なに?」
「王子は、世継ぎの王子だ。貴種中の貴種の生まれであり、想像もつかないほどの裏切りの渦のなかで生きていく身だ。初めてできた友人を大切にするのはいいが、心のどこかで覚悟しておくことだ。その友人に裏切られた時のことを」
「そんなことがあるはず……!」
「聞いておけ」
噴火しかけたリオンを抑え込む、重量感のある声音だった。
「その時に心の奥の奥まで切り裂かれることのないよう、覚悟だけはしておくことだ。王子は無数の、信じられないような悪意と戦う生まれだ。もし友誼を知った輩が、その友人の家族を人質にとったら、友人とて望まぬ選択を強いられることもあるだろう」
その声は、どこか、寂しげな成分を含んでいた。
いつものような揶揄の響きはなく、本心からの忠告に聞こえた。
「……ジョカは、友人に裏切られたことがあるのか?」
ジョカは、何も、答えなかった。
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